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素直に生きれない。

素直に生きれない。つまり素直に生きたいの現れ。
なぜ素直に生きれていないと思うのか。
素直に生きるってなんだろう。
いつから素直じゃなくてどう困っているのか謎に包まれているようで本当は分かっているはずだ。

人は自分の気持ちを隠すのが基本的に上手い。
むしろ隠すのが下手な人が素直に見える。
天然的要素が素直さの要素の一つに思う。

僕が思う理想の人間は
・自分の気持ち、考えをはっきり発言•行動に移せる人 
・純粋で真っ直ぐな人
・他人の意見や目を気にしない人

など。

こういう人は自分自身に素直なんだと思う。
素直さは必要不可欠なのだ。
でも素直に生きたくてもそう生きれない状況とか環境が邪魔をする。
でもきっと素直な人からしたらなんで?となるんだと思う。
だって素直になりたければ勝手になればいいじゃんって話だから。

なぜ僕がここまで素直さに固執しているのか、
きっとわかる人はいてくれると思う。

自分の気持ちを言えない自分のもどかしさ
そんな自分を隠そうと取り繕い出来た自分の虚像
本当の自分が分からなくなって病んだり
他人への嫉妬が止められない

全ての元凶は自己肯定感の低さ。
分かってる。そんなこととっくに分かってる。

「僕はゲイです」


そう言えたら素直に生きられるのだろうか。
いつも少しの勇気が出ない。

まだ彼女出来ないの?
もしかして女に興味ないの?
の答えにいつも言葉が詰まる。

多様性が認められるようになった?LGBTの認知度が上がった?
カミングアウトする芸能人が増えた?そもそも言う必要がない?
どれも素晴らしいようでどこか気持ち悪い。

結局自分が自分を認めてあげられないだけだ。

いつしか
ゲイ=マイノリティ=悲劇
自分を悲劇にぶち込んで安心していたのだ。

可哀想な自分に同情してあげられるのは自分だけ。
ただ、よしよしと頭を撫でて欲しかった昔の自分を救うため。

きっとあの時、
父が家を出て行った時、
母があまりにも悲しそうに怒っていたから口から出た言葉は

「おれは全然へいきだよ」

だった。
気持ちをはっきり言ってしまえば母が辛くなるのは小学生の自分でもよく分かっていた。
母の味方であるのが最優先すべきことだとあの時はそれが精一杯だった。

今思えばこれがきっかけだったんじゃないかと。
自分の気持ちに蓋をすることには慣れてしまった。

好きな人を曇りなく好きだと言いたい。

きっとそんな日が来たらこんな記事を書いていた自分が馬鹿らしくてとても愛おしく思えるんだろうなぁ。
そんな少しの、人によっては当たり前のことを希望に生きている。

失ってしまった愛は他の愛では替えがきかない。
だから似たようなもので埋めようとする。
失った父性を恋愛で求めようとしている自分のように。
そうやって昔の愛に縋りついたままでは前に進めない仕組みになっている。

まだまだこれから先長い人生(おそらく)
もしかしたら素直にはなれないのかもしれない。
それでいいのかもしれない。

でも僕は、おれは、自分は、やっぱり素直に生きることを諦めたくない。

いつか自分が納得する素直な形になるまで苦悩は続くだろう。

それでも最後に諦めなかった自分を自分ではなく人に褒めてもらえるように、そんな自分を認められるように生きていきたいと思う。


最後まで読んでくれてありがとうございます。
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