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死ぬほど普通だった。


どうもいろどりにんです。

ちょっと前から日本一周しようと思い(以前記事に書いたけど)、帰省中の千葉の実家から

「日本一周行ってくるわ!」


の勢いで颯爽と家を後にした。
まあ1ヶ月も実家で休んでたけど。


ちゃっちゃと茨城の大洗フェリー乗り場まで交通機関を使い、17時間くらいかけて北海道の苫小牧に辿り着いた。
フェリーは電波がないためほとんどの時間を睡眠に費やした。
旅人とかいたら話しかければいっかと思っていたけどフェリーの客層はほとんどがファミリー層だったため1人としか喋れず。


到着後はとりあえず旅の祈願をと神社まで1時間くらいかけて歩き祈願とおみくじもしつつ(安定の中吉)めっちゃ休んでからまたさらに歩き始めた。特に目的はなかったけど。
途中で疲れてセイコーマートで休んでると
「旅人さん?」と声をかけてもらいそのまま車に乗せてもらい家にまで泊めてもらった。
いわゆるビギナーズラック的なものだ。
めちゃくちゃ親切にしてもらってこんな事言うのもアレだが止まらないマシンガントークと同じ話の連続にそうそうに疲れてしまった。

旅人ってこういうのも上手く流していくのかと思うとやはり自分の旅人に向いてない部分が顕になる。
マジで尊敬する。

また、何とか課金して稚内までいってゲストハウスに泊まった時に、夜中に酔っぱらいの自称俺よく人の相談とか聞いてるからなんでも話してみって言う宿泊者に絡んで頂き、何しに来たのとか目的はとかどうしたいのとかの質問に淡々と答えていくまでは良かったのだが、「それ意味あるんかなぁ」「君には信念がないね」などの助言を頂いたりもした。

心中はお察しください。

自分は人に強めにものを言われると完全に引いてしまう。
言い返すと口喧嘩になるのも嫌だし相手を尊重しない会話もすこぶる嫌いだからだ。
一方的に自分の正論っていうか正義を押し付ける人は本当に辞めて欲しい。


これ以上なにか話そうもんなら言い訳ごちゃごちゃ愚痴まみれになるから書きたくないけど言いたいことは、
自分はやっぱりめちゃくちゃ普通なんだってこと。
わかってて認めてるつもりでも本当は認めたくない所なんだよねやっぱり。

別に自分がすごい人間としていたい訳じゃない。
ただ、他と違うものになりたいって言ってるだけ。
そんな事思うことこそが普通なんだと思う。


都会にいても自分の存在感のなさというか、田舎にいたからといって存在感があるかと言われたらそんなことは無いが、都会は特にきつい。
全く知らない人にでさえ自分と比べてしまい前すら見て歩けない始末。
誰もが歩くスピードは早く、シャキシャキ動いている姿はとても眩しかった。
たとえ合わせられても自分は必死に合わせるまでが限界だって、そんな自分がここにいてもどうしようもないと勝手に決めてしまった。
限界を自分で決めることの愚かさはもう知っている。

自分は本当にとんでもない愚か者なのだ。


何をしたいかよりも何をするべきかを中心に考えてきた人間は根性や気合いといった部分で自分に勝てない。
そこまで熱量を上げて頑張る理由を見つけられないからだ。


僕はこの旅は自分自身がやりたいことだと思ってやり始めたことと信じてたけど、するべきだって思ってた自分も相まってたようで早々に頑張れそうにない。←
やっぱり一人でいると気が滅入るし、ヒッチハイクしてると人の目が気になる。この旅は本当に意味があるのか考えすぎてまたよく分からなくなってしまった。
この期間で自分に向いてないことは痛いほどわかった。

ヒッチハイクをするぐらいなら変わりに20kg近い荷物を背負いながら何十kmも歩けちゃうくらいなのだ。余裕は無いけど。
慣れもあるんだろうけどやっぱりヒッチハイクは注目されるから恥ずかしいって気持ちがあるし、何やってんだろって思ってしまう部分がある。自分の根本の部分の人の目を気にしたり自信がなかったりする所があるから余計なのだろう。

それに、例えば歩いて1時間のところに目的地があったとして、そこをヒッチハイクを利用していくのはなんだか罪悪感を感じるしそれなら歩いてしまおうと思ってしまう。
自分でヒッチハイクしなきゃ行けない状況を作ったつもりがただただ苦しい状況を作ってしまった。
笑うしかない。

だからやってる人は本当に尊敬するし、乗せる側もすごいってこと。

「もう辞めちゃおう。」

心の中で幾度となく呟いてた。

この旅をするって宣言をした人達に


「やっぱり無理でした笑」


と言うのはこの先旅を続けていくよりも遥かに簡単なように感じた。
実際に何人かに言っちゃったし。
もう帰りの飛行機のチケットの画面すら見てた。


自分にとってはものすごく恥ずかしくてダサくて、でもある意味自分らしい。
今まで何度も同じようなことがあった。


小学生の頃親にチャレンジやりたい(付録ほしさに)と懇願して始めた月から早々に溜めた時、趣味でダンスの習い事をして講師が合わないという理由で辞めた時、同じく趣味でスケボーやろうと思って買ってすぐやらなくなった時、東京のイタリアンで働いて5ヶ月で辞めた時、ダイビングインストラクターとして働こうと志して1年ちょっとでやめた時とか今思えば色々あるけど。
(同じような事か?)


別に辞めることが悪いわけじゃない。
自分に合わなかった、ただそれだけの理由だとしても自分で考えて出した答えならね。

ただ今回は自分の可能性を諦める話なのだ。
いつもとは少し違った。


「人に迷惑をかけちゃいけない。」


話は変わるが、今思えば色んな人がこの言葉を口にしていた気がする。
未だに僕はよく分からないけど呪いのように張り付いている。
わざと悪質な迷惑をかけるのはそりゃもちろん悪いけど、でもその人にとっての迷惑か迷惑じゃないかの境界線は誰も分からないのにどう判断すればいいんだろうと。

もしかしたらこれも迷惑かもしれない、じゃあこれも迷惑かもしれない、、、
そう思って行動を思いとどまることは数え切れないくらいあった。
今でも、話しかけたら迷惑かもしれない、ヒッチハイク掲げてるだけで人によっては目障りかもしれない、ましてや動画撮ってもいいですかなんて特に迷惑かもしれない、そんなことばかり考えている。
境界線が分からないから自分で探るしかない。
〜かもしれない、が染み付いてて足が進まない。


そもそも迷惑かどうかは相手が思うことであって自分が決めることでは無いはずだ。
分かっているのに動けないのはきっと染み付いているからだろうな。

果たしてこのまま旅が向いてないから、クソみたいな言葉並べて開き直って旅を辞めていいのか。


いいわけないやろ馬鹿野郎!!!!


自分が欲しかった言葉は、もう辞めちゃいなよとかもう少し頑張ってみようよとか、それもすごいありがたくて大事なんだけど、


自分が本当にやりたいと思って始めたんなら
とにかくやれ。
言い訳してる暇があるなら歩いてでも前に進め。
携帯いじる暇があるなら人と喋れ。


こんな言葉も時として必要なのかもしれない。
人に鼓舞してもらうのを待ってたらいつまでも進めない。
やっぱり自分で自分を鼓舞するしかない。
それが難しいんだけどねえ!

今までの自分なら確実に辞めてたけど、自分の変えたかったと所ってこういう所だったんだと思う。
何事も続けられない自分。
続けられなくても正当な理由さえあればいいと思ってる所もいけ好かないところ。

ただ、やりたいと思ってやり始めたことを苦しくても(苦しいからこそ)、結局変な形になったとしても、やり遂げたら何かを得られる気がする。
それはきっとその時にしか分からないから今考えるのはやめよう。

とりあえず、友人のアドバイスによりヒッチハイクをやめて自転車で移動をすることにした。
絶対に自転車ではやらないと思っていたけど今考えたらなんだかしっくりくる気がする。
高校、専門時代のチャリ通の底力を見せる時が来たようだ。←


死ぬほど普通な自分へ

人よりも優れる部分が無いと、人と比べて打ちひしがれるなら、飽きるまでそうしてなさい。
そんで飽きたら、少しだけ進もう。
人よりも進む速度は遅いかもしれないけど、立ち止まるよりは遥かにいい。
人と比べる前に今までの自分と向き合おう。




こんな恥ずかしい格言っぽい事言っといていつの間にか旅を辞めてるかも知れない。
その時はその時でいい。


未来の自分は分からないけど自分にとって今のこの人生が最高に素晴らしいものにする為、今日も少しだけ進みましょう。

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