30歳になったら幸せになる。
こんにちはいろどりにんです。
唐突ですが僕は
30歳になったら幸せになります。
ん?
自分でもわからないけど前からそう信じてる。
そう信じたいからそう思ったのか、はたまた未来予知なのか。 は?
自分の中で勝手に30歳を区切りにしている。
昔の自分
昔は一生幸せになれないと思っていた。
幸せが何かしらないから。
いや、当たり前な。←
昔は一生一人でいると思っていた。
自分を語るのも苦手だし人を信じるのも苦手だから。
今は喋りすぎかもしれない。
昔は早く死ぬと思っていた。
長く生きてもしょうがないし生きたい理由がなかったから。
死にてーって友達と笑い合ってなんとか生きてたな〜
うーーーん
鬱々してますね〜
メンヘラにも程がある。
いい加減にして欲しいくらい←
まあそんな時期も人それぞれあるよねー。
強弱あるけど。
今の自分
30歳になったら幸せになれると思ってる。
今も幸せやけどもっと幸せになれると思ってる。
うん、とても強欲。
そのうち恋人ができて一人だと思わなくなる日が来ると思ってる。
今は自分のことを話すことができるようになったし、信頼できる人ができ たから。
ただ見つめ直さなきゃいけないところがいっぱいありそうで死んだ。
長生きはできないけど早死にはしないと思ってる。
絶対に自殺しない自信ができたから。
死ぬこと以外かすり傷〜(棒)
うん。成長してる。
時間はかかったかもしれないけどいい方向に進んでると思う。
きっと30歳くらいが次の段階に進めてると思うからなのだろう。
じゃあ30歳になったらどうなってるのかな〜
30歳の自分の予想
今幸せです。
全てを受け入れる覚悟ができ、幅も広がってると思うから。
流石に悟りすぎてるかも。スピってるね。
恋人ができて人を信じる幸せを噛み締めてる。
一生一人だと信じた人間がついに人を信じ感動の物語。?
ついにそんな時が!? 純粋にきてほしい。
寿命が来るまでのほほんと生きてるだろう。
生きたい未来が見えてきたのかも。
考え抜いた未来にはやりたいことで溢れていてくれ頼む。
予想というか理想なんですけど〜
てか、これしに重い〜。 (しには沖縄の言葉でめっちゃみたいな)
前回の記事でやりたいことかいてよしやったるぞ!って気持ちになったはずなのに、仕事も辞めてストレスフリーなはずなのにまた考え込んでしまう。
むしろ暇だから故にかもしれない。いや間違いない。
やっぱり自分の中に理想ってもんがあって、一度きりの人生何かを成し遂げないといけないような気がしてしまう。
↑の記事のようなこととか
形あるものになりたいと思いつつその形なってしまうのが怖い。
なってみないとわからないのに。
本当は自分を好きなのに好きじゃないと信じてしまう。
自分を嫌いならこんなに自分のことを考えないはず。??
こんな感じで今はまだ自分の中でなにかと相違がたくさんある。
いやどんな感じだよ。
ありのままの自分。
自分が自分でいていいと思えること。
別に誰かに直接ダメだと言われてるわけではない。
でも何故か生きにくい。
それは別にマイノリティーに限った話ではない。
どう生きたいかよりどう生きた方がいいかを考えてしまう。
そんなこと考えないわって人ももちろんいっぱいいて、でも同じような人もいっぱいいる。
自分が想像してるよりも世界はもっともっと広いんだろうな〜。
ってまたなんか言っとる!!!
少しはこんなこと書いてる自分を恥ずかしがった方がいいと思う。
もうどうでもよくなったけど。
父親との会話
話は少し変わって2、3年前くらいに家を出て行った父親とご飯に行く機会があったのだが、
その時30歳までは遊んでいいという自論を述べられた。
当時自分は20歳を超えていてもうお酒を飲める年。
父親は実の息子とお酒を飲み、二軒目に行きつけのスナックに案内して、そこの店の人に「俺の息子」と自分を紹介をし、よく似てるやら仲がいいだとか言われ心地良くなったのか満面の笑みで酒を飲んでいた。
かく言う自分はというと、たまに連絡が来て現状報告みたいなこの食事会の意味もよくわからなくなっていた。まあこの食事会が最後だったけど。←
世間話やら最近どうだとか彼女いるのか、など当たり障りない話と興味のないスナックでのお酒は3週くらい回って心地よかった。
父親のことは家を出て行ってから父親だけど父親じゃないような、いつしか一人の人間として見るようになっていた。
どうしようもないバツ3人間だけど完全に家族を捨てきることはできなかったが故に中途半端に繋がっている感じ。
どうせなら音信不通とかのがよっぽど歯切れが良かったのかも。
クズすぎないためになんとも言えん感情の出来上がり〜
まあでもそのおかげで貧乏だけど学校も通えたし不自由すぎない生活でいられたのかもね。
こう思うのもきっと出ていく前が幸せだったからだと思う。
最近久しぶりに姉と家族の話になった時に同じことを言っていた。
幸せだった頃があったからこそ、それがなくなったことへの恨みや悲しみ憎しみに変わっていったんだろうね。母親も然り。
愚痴はさておき、食事会の時の話の内容はそんなに覚えてない中、一番覚えていたのがさっきの30歳までは遊んでいいだった。
本人は覚えてないかもしれないけどなんだか自分の中で衝撃だった。
きっと30歳まではやりたいことやっていいってことだと思うけど、まさか30歳までとは思いもよらなかった。長すぎん?
今思えば昔から夜は遅く帰ってくるし土日はテレビを見るか家族で出掛けていたから面と向かって一対一で真面目な話はほとんどしたことがなかった。
12歳の頃でていったから当たり前か。
そんな中自分も20歳を超えていわゆる大人ってものになっていざ父親と一対一で話してその言葉を聞き少しだけ安心した。
今更父親らしく説教でもされたら鳥肌ブワーものやと思っていたのもあるし、家では母親がぼくが真面目に生きることや結婚して幸せになって欲しいだの、気持ちはわかるが母自身の理想に押し込めようとするのがとにかく苦しかった。
母親として、子供に幸せになって欲しいと思うのも真っ当に生きて欲しいのも悪意のない善意で思ってるのが痛いほどわかるからこそ簡単に突き放すことはできなかった。
家では兄も姉も出ていき母との二人暮らしで余計に精神をすり減らした。
そんな状況だからこそ、どうしようもないと思ってる父親からの言葉だったからこそ自分に印象強く残ったのだと思う。
逃げ道がわからなかった自分には特段甘いアメのような、逃げられない苦しかった気持ちがだいぶ楽になった。
だから父親には少し感謝してる。
世間一般じゃそんなの通用しないし、きっと30歳まで遊んで暮らす〜なんて言ってみた暁には、大丈夫かと真面目に心配されたり、クズやな〜って思われたりするのかもしれないけど、きっともう大丈夫。
なんせパパの お墨付き♡ ←←←
自分だって30歳まで本当に遊び続けたらやばいことくらいわかってるさ。
でも一般的な幸せ(結婚とか)ってやつを手に入れられないなら特殊な幸せ勝ち取りに行くに決まってるね。
どうせ自分も変人になりきれない凡人だから。
30歳になる頃には自分がどうにかしてるのさ〜。
こう言うところには自信あるのにどうしたもんかな。。。
沖縄移住
全体にして2年半。
実家にいるのが苦しくて逃げ出すために初めて自分で移住を決断して沖縄を選んだ。
なんとなく海が好き。綺麗な海の近くで自由に暮らせたらそんなに幸せなことはないとただそれだけ。あとは友達に背中を押されて。
嫌なことも楽しいことも全て愛おしくて、大好きな沖縄という場所での出会いも本当におもしろいものばかり。
頭おかしい人も、純粋で素直な人も、悩める人も、クソ金持ちも、クソ金ない人も、ニートも、社会人も、全てひっくるめて、
美しい海や大自然の前ではただの人。
結局皆、おんなじ人間。
元は一緒で少し違うだけ。
誰かさんのセリフパクった。
それを一番実感したのは、
ゲストハウス結家でヘルパーをした時
だった。
またその時の話はいつか書こう。
まとめ
ということで30歳になるまで僕はやりたいことをとことんやっていくのさ。
全て経験にしてめちゃくちゃ吸収してやるもんね。
そのうちやりたいことも行きたいところも増えていくだろうし。
そんでまた悩んで少し立ち止まってまた一気に進んで、
自分らしく生きていく。
大好きな沖縄を少し離れるけどまた戻ってくればいいさ〜。
精一杯生きていきましょ〜
最後まで読んでくれてありがとうございました。
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