7冊目 『ごんぎつね』
新美南吉の作品は、小学校の教材として縁があります。最も有名なものは、「ごんぎつね」でしょうか。小学校4年生の国語の教科書に載っています。(最初に取り上げられたのは1956年 (昭和31)の大日本図書のようです。それくらい教育現場では古くから馴染みのある物語なのですね)。「ごんぎつね」の他にも、「あめ玉」という物語が5年生の教科書に掲載され、かつてその授業を行ったこともあります。短い物語ですが、登場人物たちの気持ちの揺れが、軽妙な感じで描かれていました。
小学校4年生の担任になると、「さあ、ごんぎつねだ。この物語をどのような展開で学習しようか…」と気合いの入る先生も多いのではないでしょうか。
私が勤めていた小学校に、たいへん国語の授業力のある校長先生がいて、4年生で「ごんぎつね」の学習をした様子を見たことがあります
その先生は、校長先生という立場なのに自ら進んでいろいろな学年、学級に入り授業を実践していました。担任の先生方も、専門性のある授業を見て学ぶという風通しのよい校内研修が日常的に行われている学校でした。これはなかなか貴重ですし、形式ばった校内研修の何倍も価値があります。その校長先生は、単元を通して「ごんの通知表を書こう」という活動目的を設定していたことを覚えています。これは絶妙、でした。
かつて私も、「単元を貫く言語活動」という言葉が大流行した時期には、いろいろなことをやりました。例えば、「本の帯を作ろう」とか「リーフレットを作ろう」とか「音読CDを作ろう」といったものです。けれど、それらはうまくいきませんでした。今思い返すと、その理由がはっきり分かります。うまくいかなかった理由は、私の設定した活動は、ただ一時の子どもの興味や意欲を喚起させる程度にしか過ぎず、子どもたちが文章の構成を考えたり、一つ一つの言葉に注目してみたりするような必然性が全くなかったからです。
それに比べ、先ほどの「ごんの通知表を書こう」というテーマで進む授業展開は、ごんの行動や気持ちを評価するために、本文に立ち返る必然性が生まれるところが大きく違います。それに加え、普段自分自身が受け取るはずの通知表を自ら書くという設定の面白さもあるわけですから、本当に子どもたちは生き生きと学習をしていました。どの子も一生懸命教科書の本文を読みます。そして、「通知表を書く」という目的に合わせて、自分なりの言葉を探して感じ取ったことを書き表します。
「子どもがある目的に向かうための、しかけ・きっかけを設定する」…あえて言葉で表してみたらこんな簡単なところに落ち着くのかもしれませんが、実際にそのような学習を考え出したり実現させたりするのはとても難しいことです。授業力を高めるためにどれだけの努力をしてきたかに加え、センスも大きく問われます。そういう先生のもと、教材に目いっぱい浸れるような授業をすることができた子どもたちは、本当に幸せだと思います。