マンガ『ハイスコアガール』の懐かしさでゲーム欲をくすぐられた
いまさらながらマンガ『ハイスコアガール』を読んで、懐かしさに胸を突き刺された。まだ1巻しか読んでいないが、勢いが収まらないうちに書く。
時代は1991年。主人公の少年・矢口ハルオは小学生。勉強もスポーツも、なにもかも冴えない少年が唯一誇れるもの、それがゲームだった。当時、スプラトゥーンなんてものは当然なく、近所のゲームセンターでなけなしのお金をはたいて腕を磨く…そんな日々を過ごしていたところに突如現れた才女・大野晶。
荒野に咲いた花のように見た目はまわりから浮いているものの、腕は一級品。ハルオが得意とする『ストリートファイターⅡ』で圧勝したのだった。物語の序盤はこの2人を中心に展開していく。
僕は1991年に生きていないので”懐かしい”という感情を抱くことはおかしいのだが、懐かしさを感じざるをえない。
コインを投じて筐体の前に居座ったことはないし、ゲームセンターにはほとんど行ったことすらない。そんな僕でも懐かしさを感じられるのは、主人公たちの考え方は同じように経験してきたからだ。
自分が慣れたゲームで初見の友だちを舐めたプレイで勝利し続けたらリアルファイトへ転じてしまったり、格闘ゲームでどうしても勝ちたいという気持ちが出てきたら距離をとりながら小さなダメージを重ねて絶対に負けないプレイをしたり…作中では名前を知っている程度の『ストリートファイターⅡ』で行なわれていることを、別のゲームで体験している。だから同じゲームをプレイしたことがなくても「あああああぁぁ懐かしいいいいいぃぃ」という気持ちに浸れるのだ。
この懐かしさは人類共通のものであるはずなのでおそらく誰が読んでも楽しめるが、唯一のハードルは作者である押切蓮介さんの絵だ。実写映画化も決まった過去作『ミスミソウ』で遺憾なく発揮されているように、正直いって彼の描く絵は不気味さを漂わせている。だから作品のテーマとは無関係に、まとっている不気味さが初見の人に立ちはだかる。
しかし大丈夫。この絵のクセはむしろヒロインの大野のかわいさを”ギャップ”として演出する役割になるのだから。ハルオに対して一言も言葉を発しない”クーデレ”キャラである大野は、時折「一緒にいたい」「このゲームやりたい」というメッセージを言外に伝えてくる。
素直に言葉にできない様子を見ていると、なんだか愛着が湧いてくる。ここまでくれば Q.E.D. 証明終了。「ヤンキーが花壇に水をやっていたら実は優しい人だと思ってしまう理論」と同じで、不気味だと感じていた人相も実はかわいいのだと、すべてを肯定するループへと巻き込まれる。
「スーファミ」「PCエンジン」といった僕の知らない懐かしさと、キャラクターへの愛着にほだされ、年末年始はゲーム三昧。『スプラトゥーン2』、ノベルゲームの『9時間9人9の扉』にどハマりしている。なかなか充実した正月だ。