【人間関係・価値観・場づくり】“ここじゃない気がする”と思ったら、それは新しい一歩を考えるタイミングかもしれない
自分の考えを隠している時
もしかしたら、
自分の考えを隠したり、見て見ぬふりをしているときって、実は「自分が大事にしている価値観を隠さざるを得ない状況」にいるのかもしれない。
そう考えると、自分のこれまでの経験と結びつくことがたくさんある。
コミュニティごとに価値観、“常識”がある
私は学生時代、親の仕事の都合で国内外いろんな学校に転校してきた。
そのたびに感じたのは、学校ごとに全然違う「当たり前」があるってこと。同じ日本でも、学校ごとに校風、カルチャーが違いすぎて、まるで別の国にいるみたいに感じることもあった。
社会人になってからも、それは同じだと思う。
会社もそれぞれ大事にしている価値観や評価の軸が違う。成果主義を重視する会社もあれば、コンピテンシー評価でプロセスやチームワークを大事にする会社もある。「当たり前」とされる基準は、その場ごとに全然違う。
それゆえに、自分の大事にしているものと、その集団や組織が大事にしているものが違うこともあるとも思う。
そういうときって、どうしても「数の論理」でマジョリティである集団の価値観が優先される。結果として、自分の価値観を心の中にしまいこんで、合わせるしかない状況になることもある。
そんなとき、社会的な圧力を感じて、「これを言ったら浮くかな?」とか「今は黙っておこう」とか思って、知らず知らずのうちに無理やり自分を抑えているかもしれない。
でも、それって「自分が間違っている」んじゃなくて、ただ「今の場所では自分が少数派なだけ」かもしれない。
マイノリティとしての経験から得たもの
私自身、日本でも海外でも、何度もマイノリティを経験してきた。
海外では「日本人」というマイノリティ、
日本では「帰国子女」というマイノリティ。
その中で、「自分の当たり前は、相手にとっての当たり前とは限らないんだな」と、小学生の頃から意識するようになっていた。
一方で、
多様なバックグラウンドを活かして、お互いを尊重しようとする組織もある。
「できないこと」を指摘するんじゃなくて、「できること」や「強み」に目を向けてくれる場もある。
そういう環境は、私にとって本当に居心地が良くて、自分らしくいられる。
そして
減点法よりも、それぞれの個性を見て大切に育んだほうが個としても集団としても強くなる。
そういう環境こそ人が力を発揮できる場所だ。
と信じている。
今、私が大事にしていること。信じたいこと。
まだ二十数年間だけど、これまで生きてきて、
否定や攻撃をされ、傷ついたり、苦しいこともあった。
一方で、違いを面白いと楽しみ、お互いの価値観や考えを尊重し合う温かさにも触れた。
その経験を通じて
私は強く思うようになったことがある。
「自分が大事にしているものを大事にし、相手が大事にしているものも尊重できる関係性を築きたい。」
それができる場を増やしていくことが、私が目指したいこと。
そのために、私は人と向き合い、組織と向き合う。
そして、そのための方法の一つとして、いつか絶対にコーチングを学びたい。その人が大事にしているものを、「そのまま大事にしていいんだ」って思えるような、背中を押すきっかけになれたら嬉しい。
そんな人が増えたら、人も社会も、もっと幸せになるんじゃないかなって思う。
これが、今の私が大事にしていること。信じたいこと。