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本日のつぶやき「お葬式協奏曲 ピリオドの向こう編」

実家に帰ってきた。

実家の最寄り駅まで弟が車で迎えに来てくれた。
いつもは父が迎えに来てくれるのだが …そうだそうだ、その父が亡くなったんだった。

弟と顔を合わせて、「いやー、ねぇ…」と言いながら、2人で何だか笑いが込み上げてくる。
おかしくて笑う、というよりは、信じられない、というか実感がわかない、という感じだ。

そもそも父が亡くなっていることに家族が気がついたのが朝の7時頃だったのだが、驚くことに話を聞くとトイレに起きた母が、4時頃リビングでスープを飲んでいる父と会話をしていたのである。

……それは生きた父だったのか?

と、少々オカルトめいたことが頭を過ぎるが、とりあえず口には出さずにしておく。

が、思ったことが顔に出ていたのか

母「ちゃんと、使ったカップもシンクにあったからね」

と言われた。
幻ではなかったか。

人が急に亡くなるとはこういうことか、とまざまざと感じたのは、家にいた父の遺体に手を合わせた後。

思い出を語るより先に、家族全員が「家や土地の名義は誰のものになっていた?」「父名義の支払いは?」「過去のアレってどうなってた?」「●●って●●じゃない?」「親戚に連絡しなきゃ …誰に?」と、次々と気になることが五月雨的に飛び出す。

私も、オンタイムで葬儀に関する今後のことについて、逐一、夫や義母に情報共有でひっきりなしにメッセージのやりとりをしていた。

準備も何もないので、みんな「やり残し、見落としがないか」とそわそわしているのである。

夜になって、主を失った父の部屋に兄弟3人(私&弟2人)で集まり、置いてあるものを見ながら、家族の思い出話をしていた。

が、話の最中に弟が、何気なく手に取った紙の束を見て内容を確認しだす。

弟「これ ……支払いの紙だけど、払ってんのかな?」

思い出話はどこへやら、すぐに、また「この支払いはいつのもので」「これは何の支払いだ?」と書類を広げて3人で「何だこれは」という話にすり替わる。

そんな話をしながら、正直、捨てれば良いものは捨てればいいから良いけど、支払いや契約したもの(特にサブスク)、の情報は1箇所にまとめておくべきだな…と、痛感する。

上手に死ぬ、というのも、結構難しそうである。

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かおり
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