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本日のつぶやき「あなたに才能はあるのか」
ぷらっとこの動画を見て。
10代で「お前、それすごいな」って言われたら、それが才能だと。
ははぁ、なるほど。
ある意味、一理ある。
多分、今の時代だったらみんなネットとかで色々見てて比較対象がたくさんある中での「お前、それすごいな」だろうから、才能がある可能性、かなり高いよね。
しかし、一方で私のような田舎者でネットも何もない時代の10代の「お前、それすごいな」は才能というよりは、「俺らの中では1番だな」程度な気がする…
そして、大人になっても案外、「あいつすごいよ」の前評判は「俺らの中での1番」だったりする。
“俺ら”のレベルによって、その1番、全然評価違わない? みたいな。
人の才能というのは、案外、判断が難しい。
ちなみに、私は「才能がある」というのは、「見た時に答えが見えるか」だと思ってる。
才能がある人っていうのは、その課題を見たと同時に答えが見えているように思える。
あとは、それ通りに行かなかった時に「努力」が必要なだけで。
だから、「才能がある人」はすべき「努力」を間違えない。
しかし、こと芸術関係(絵とか音楽とか文章とか)は人より出来たところで「余暇に楽しめる」程度にしかならない。いや、それはそれで個人的には充実するからいいんだけども。
芸術関係は“出来ない人”の中で“出来る”ではなく、“出来る人”の中で“出来る”じゃないと案外大した利益がなかったりする。
あ、スポーツも一緒かも。
なかなか難儀だ。
いつも最終的にそんな悶々を考えると、有島武郎の『生まれいづる悩み』に行き着く。
文学者の「私」のところに、絵を描いている「君」がやってくる。
「君」は「私」に絵の才能があるかを問うが、答えは出ない。やがて、「君」は生活の為に漁師になっていく。
君が一人の漁夫として一生をすごすのがいいのか、一人の芸術家として終身働くのがいいのか、僕は知らない。それを軽々しく言うのはあまりに恐ろしい事だ。それは神から直接君に示されなければならない。僕はその時が君の上に一刻も早く来るのを祈るばかりだ。
持ってないものを心配する必要はないから気楽で良いけど。
才能があったとて、幸せになれるわけではないから、やっぱり人生難しいな、と常々思う。
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