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Monologue #01 スポーツは、好きですか?
※閲覧期限のある記事です。
スポーツが好きですか?
ちなみに私は嫌いです。
下手な方だし、楽しいと思ったこともない。
でも、ちょっと気になったこの記事。
「体育嫌い」をジェンダーの観点から研究してきた京都教育大の井谷恵子名誉教授は、「スポーツが嫌い」と答える割合は女子の方が多く、かつ増加傾向にあるそうで。
井谷教授は、その原因が体育のカリキュラムにあると考えているそう。
具体的には、勝敗や順位を競う「競争」が強調されていることや、体格が大きく筋肉が多い男性に適したスポーツが中心になっていること、生理など女性の体への配慮がない授業の進め方などだ。
で、この記事では、スポーツを学ぶ意義をどう考えるか、という問いに筑波大の佐藤貴弘教授は米国を例に出し
「長所を見つけ伸ばしていくことが大切。誰にでも得意不得意があり、苦手なことは隠すことではないと伝えながら、それぞれの自己肯定感を高めるよう教えていく」と答えた。背景にあるのは、「ソーシャルインクルーシブ」という考え方。社会的に弱い立場にある人も排除されず、全員が社会に参画する機会を持つ、という理念だという。
と、答えた。
ちなみに、具体的には
競技人口が少なく、経験の差がつきにくいゲートボールを授業に取り入れた
バスケットボールで、チーム全員にパスが回った後だけ得点を認める
などの試みがあるらしい。
まあ、学校の授業でやる以上、苦手意識を植え付けるきっかけではなく興味を持つきっかけになって欲しい、というのはわからないではない。
しかし、反射的に思ってしまったのは、「苦手なままではダメなのか」という本音だ。
スポーツは嫌いだ。
私はスポーツ観戦すらしない。
体育の授業は楽しくなかったし、何かでなくなればラッキー、と思っていた。
けど、人には得手不得手がある。
それじゃダメなんだろうか。
世の中、楽しいことも、楽しくないことも、やらなきゃいけない時がある。
早く終わらないかな、と、考えながらも、トップ争いに食い込めなくても、ひっそりと及第点を目指して可もなく不可もなし、という場所に軟着陸できるように努力する、というのだって立派な経験だと思うのだが。
私の座右の銘は西原理恵子さんの「最下位には最下位の戦い方がある」だ。
出来る人を不完全燃焼させるよりも、「出来なくても良いんだよ」の方が心地良い。
試験科目となればそうも言えないかもしれないが、体育や音楽、美術なんかは、それで良いんじゃないかと思うのだが。
そういう訳にはいかないんだろうか。
“皆、違って良い”とは口では言うけれど、そう簡単なものでもなさそうだ。
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