自分責めをやめる方法
私はこんなこともできない、あんなこともできない。
あの人はできるのに、あの人はこんなに上手なのに、世の中の人はもっとできているのに。
私は。
こういう自分責めが癖になっている人っていますよね。
過去の私なんですけど。
これはですね、
なぜこういうことが起きてしまうかというと、
自分責めが多い人っていうのは思考が強いんですよ。
思考が強いっていうのはどういうことか。
何かを思っても必ず否定が入ってしまう。
なぜか。思考しているから。
多くの方は思考している限り必ず否定に結びつくんです。
「楽になるための思考パターン」を獲得している人って多くないから。
そもそもで考えて欲しいんですけど、
人間の感覚ってあんまり否定をすることってないんですよ。
「あぁ気持ちいいなぁ、暖かいなぁ、おいしいなぁ」
「いやでも本当に暖かいんだろうか、本当においしいんだろうか」って感覚に上がることってないですよね。
でも思考になってしまうと、
「こういうことができた」と思ったけど、次の瞬間には
「でも〇〇さんはもっとできている」
「この程度でできたなんて言ってはいけないんじゃないだろうか」
「こんなこと思っていることを人に知られたら恥ずかしいんじゃないだろうか」
っていうようにすぐに否定が入るんですよ。
これはねー、思考っていうものの特性を考えたら当たり前のことなんですね。
もともとなぜ人間が思考するようになったのか。
思考することによって生存確率が上がっていったんですよ。人間てものは。
他の動物たちよりも思考する能力が高かったから、これだけ生き残ることができているわけ。
特に体が大きいわけでも、力が強いわけでも、
暑さ寒さに強いわけでも、病原菌に強いわけでもない。
「人間」という特に何の力もない生き物が生きていくために、
たった1つ他の動物より秀でてたものって思考能力なんですよ。
この思考能力を一体人類はこれまで地球に誕生して数十、数百万年の間にどういう風に使っていたかと言うと、
生き延びるために使っていたわけじゃないですか
生き延びるために何が必要か。
「何か問題が起きるんじゃないか」
「問題が起きたら死ぬんじゃないか」
とある意味過剰に思考する能力なんですよ。
今これが起きているという分析、
過去はこうだったという経験からの予測、
そして、その予測から、こういう恐ろしいことが起きたら大変だから、
こういう対策をしなければならないという思考が生まれるわけですね。
人間はこの能力が高かったから生きてくることができたんです。
そうじゃなかったら、人間の肉体なんて他の動物に劣っているので、絶滅していたはずなんですよ。
この「能力」というのは、悪いことが起きたときにどう対応するかをいち早く考える能力。
つまり思考と言うのは元々そうやって使うものなんです。
なので、今私たちが思考を使う時に否定してしまうっていうのは、
めちゃくちゃ当たり前の事なんですね。
あー気持ちいいなー、楽だなあ、楽しいなあ、おいしいなあ
だけを味わっていたら、もう人間なんてもうもうとっくに絶滅したわけだから。
楽しいこととか、嬉しいこととか、うまくいきそうっていうのを感じるのは感覚の役目だしね。
そしてその感覚を否定することで、生き延びてきた歴史があるのが思考なんですよ。
けれど今の人間というのは大自然の脅威にも猛獣にも晒されていません。
ほとんどの人はサバイバルをしていないので、そこまで過剰に生命の危機について思考する必要はないんです。
ちょっと能力が過剰なんです。元々が。
この事実を知っていると、いかに思考が否定をしやすいかっていうのがわかってもらえたと思います。
人間の脳ってまだ石器時代にいるんです。
なので、
他の人はできているのに私はできない。
どうしてこんなにできないのっていう自分責めをどう止めたらいいかっていう話なんですけれども。
実はもう答え出てるんですね。
思考は否定するものだということで諦める。
とにかく一旦諦める。
そして、否定が出てきた。あー今私は思考が強くなっているなぁと感じる。
世界って自分が感じた通りに形作られていくので、
思考が強くて、その思考に踊らされている場合、
不安な気持ちだったり、緊張感だったり、悲しい気持ちだったり、劣等感が生まれます。
その生まれた劣等感によって、もっともっと劣等感が生まれる現実が作られていくわけですね。
でも私は思考で、今こういう否定が生まれてしまったんだな。
私はこれに脅威をを感じたんだなということを理解することができれば、
自分の思考を冷静に観察するという現実が形作られていきます。
これをもっと練習すると、自分の思考を冷静に見た挙句、
こんなふうに一生懸命思考を働かせている私可愛いなぁ、って思えてきたりする。
私を生かすために、一生懸命思考が頑張ってくれてるわけですよ。
一生懸命否定して打ち消して、私の生存確率を上げている。
このいじらしさに対して、
いじらしいなぁ、私可愛いなぁ、一生懸命生きてるなぁ、
自分で自分を生かそうとしてるんだなぁ、ありがたいなぁ
くらいのところまでたどり着くことができれば、現実はどんどんいじらしくて、愛おしくてありがたいものになっていきます。
こうなればもうしめたもの。
こうなったら思考、つまり否定も「生存確率を上げるための」ありがたいものとして尊重する。
そうなると自分責めっていうのはなくなります。
まずは今のあなたの頭に浮かんできた
「こんなこと書いてるけど私にはこんなことできないに決まってる」
「書いてある通りにできるんだろうか」
「できなかったらどうしよう」っていう思考をまず客観視してみて下さい。
自分に当てはめたときに私にはできるかなぁって不安になりそうな気がするんですが、
これこそがまさに思考で、一旦否定をすることで、
あなたに新しい考えを取り入れず、あなたを生かそうと思考がやっているという何よりのサンプルになります。
だからとりあえず今心からそう思えなくてもいいから、
「あぁ、今私には無理かも、こんなこと書いてあるけど、
私にはこんなにうまくいかない、っていう思考が自分のために生まれているのだ」と言うことを1度認めてみてください。
そして「わーありがたいなぁ」っていう気持ちが湧いてきたらありがたいなぁってただ感じてみる。
「ホントかなぁ」って思うんだったら、それをただ感じてみる。
思考はただただあなたを生かすために働いています。
まずはその事実を一度認めてみてね。
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