足るを知るってなに?

こんにちは、みなさんいかがお過ごしですか
私は秋が始まって幸せです!
日差しは暖かいけど風が涼しくて、こんな天気がずーっと続けば良いと思います
(でももう既に、寒さのせいで起きてしまったり、寒くて布団から出たくなくなったり、顔を洗う水が冷たくて表情がこわばったりしてます。早い!もっと秋を楽しませて!)

最近の私はこんなふうに過ごしてますが、時々頭の片隅で考えてしまうことがあります

あと3ヶ月で無期限活動休止(実質解散)するグループ
私が米なら彼らは味噌汁みたいな、それくらい大好きな人たちです
そのグループの1人が書いたnoteの記事が、私にとって大きな塊として入ってきました

端的にいうと、そのnoteのコメント欄が荒れました
勇気ある告白をしてくれた彼に対して、応援のコメントで溢れているだろうと思いましたが、実際は応援と批判が半々くらいでした

正直、彼のことを危なっかしいと思いながら見ていたりします
失礼な話だとは思います
でもその危なっかしいと思う感覚には、共感や自戒の意味が含まれているんです
まじ失礼な話ですよ、でもね、私に似てるー!って思っちゃうんですよ
言うまでもなく私は彼を尊敬しています
私にないものをたくさん持っていますし、メンバー5人からの信頼も彼の人間性があってのことだと思っていますから

危なっかしさの正体?なんですけど、どことなく愛に飢えている感じがするんですよね
(ここまで書いといてアレなんですけど、世界って自分目線でしか見えないですよね、自分がこうだから相手もそうだ!って思い込んでしまう、それゆえのこのnoteですね)
自己肯定感よりも自己愛が強い
自分が持っているもの、人から与えられたもの、そういうプラスを透明化して、自分はダメだ自分は満たされていない足りない足りない!って思考になる
周りの人が輝いて見えて、自分より優れているような気がして、キラキラしている人たちだって内側に悩みを抱えているかもしれないのに

「足るを知る」から離れた状態にあるわけですね
私もその節があるから勝手にめちゃくちゃ共感します
でもこの渇望を手放そうとするとき、なんだか自分がこれ以上成長できなくなるような気がして怖気付くんですよね
ネガティブになりやすい反面、そのネガティブに助けられた過去もありますから
自分は無能だから入念に準備しておこうとか、自分はダメなやつだからみんなの良いところを真似しようとか、そうしてうまくいったことがまぁまぁある
でも足るを知る状態になれたら、こんなに渇望感に苦しめられることはなくなるんですよ
食べても食べても物足りない、自分は一生満足できない、そんな不安から解放されるんです

じゃあ「足るを知る」をどう捉えればいいか
アレコレ欲しがるのではなく、今ここにあるものを見る
足るを知るを分解すると、「身の回りを整える」になるのではないかと思うのです
既にあるものをより良い状態に成熟させる
これができれば、以前の自分より進んでいるけど、渇望感に囚われることはなくなります
こうなれ!ああなれ!と理想に振り回されるのではなく、これが理想だからこうしてみよう、こうすれば良くなるかもって試行錯誤する
熱が入れば入るほど力尽きやすくなります
だからゆるーく、軽い一歩を続けるのです
初めから全体重を預けるのではなく、まずはつついてみる
これくらいの気楽さが大切だと思います

そもそも枯渇している状態は悪いことではありません
まずは身の回りの小さなことから、経験値を集めていきましょう

ひとまず考えがまとまったので忘れる前に書き残しました
とりあえず私は、短い秋の空気をたくさん吸い込むことにします!
みなさんもご自愛ください
それでは、またね〜👋

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