ジュスティーヌ・トリエ監督『落下の解剖学』を観た。
雪山の山荘で男性が突如転落死した。不審死とみなされ、死因が他殺なのか、自殺なのかがわからない。検察は他殺と考え、死んだ男性の妻が殺人の容疑者として追及されることになる。かくして、彼女の容疑をめぐる法廷劇が展開されていく……。
まず、劇中、犬が登場するんだけどこれがすごく可愛い。俳優犬でメッシというらしい。カンヌ映画祭でもポーズをとったみたい。賢すぎる❗️
内容について(ここからネタバレ)。
この映画は法廷劇ながら容疑者となる妻の容疑を晴らす決定的な証拠が出ることもなく、また、殺したことを示す証拠も全く出ることなく、――一応無罪として判決は出るが――終わりを迎える。いわゆるどんでん返しもなく、いまいちすっきりしない終わりに感じられるかもしれない。
個人的には、かなりどっちでも(他殺でも自殺でも)ありうるだろうと思ったし、なんなら本当は妻が殺したのでは?とも思えた。
でも、この映画の主題は事実を明らかにすることにはなく、なにを信ずるかということにあるのかなと思った。死んだ男性、そしてその妻の息子が重要な証人として登場するわけだが、彼もまた決定的な瞬間は見ていないのである。しかし、彼の人生とともに過ごした両親との総合的な〈状況〉から、彼は母親が殺していないことを信じたわけである。
そしてそのことを信じたということは、彼に被った自身の事故に対する父親の苦悩を受け入れ、そのことに起因する自殺までも甘受するということに他ならない。映画は妻の「無罪」として終わりを迎えるが、彼女自身が吐露するように、裁判が終わっただけで、これから先の人生は続くのである。そしてそこに待ち受けるのは、息子の深い苦悩――父親の自殺が自分に起因すること――だろう。
そんな余韻を感じさせるいい映画だった。
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神林長平『膚の下』を読み終わった。かなり骨太な小説だったが、そのぶん刺激もすごくあった。
舞台は月が破壊され、地球環境がめちゃくちゃになった未来。人類は絶滅の危機に瀕しており、これを回避すべく機械人に地球の復興を任せ、人類は火星で地球が復興するまでの250年間凍眠する。人類は機械人の反乱防止のため(月を破壊したのは機械人なのだ)、監視用の人造人間を造った。アートルーパーである。
主人公はアートルーパーの一人である、慧慈。生まれてから5年ほどしか経っていないため、未熟ではあるが、知能は抜群に良い。
そんな彼がアートルーパーとして、生きることの意味や自らの存在証明を探し奔走するのがこの話のメインテーマだ。
SFには単にサイエンス・フィクションと呼ぶときもあるが、スペキュレイティブ・フィクションと称されるときもある。日本語にすると思弁小説となる。
思うにSFは舞台や設定の幅や自由度がかなり高いジャンルだ。異星人を登場させてもよいし、時間を自由に行き来できてもよい。そういった特殊な設定を設けることで、いまある現実を相対化させることができる。我々があたりまえと感じていることを改めて問うことができるのだ。
『膚の下』はまさにそれに当てはまる小説で、人間とは?生きるとは?といった根本的な概念について、非常に鋭く指摘する作品だった。
それがゆえに、読むのにけっこう体力を使った。刺激的な作品で、とても面白かった!
好きな箇所をいくつか引用する……。
『膚の下』は火星三部作の最後に位置付けられる作品なんだけど、一作目(あなたの魂に安らぎあれ)と二作目(帝王の殻)をまだ読んでいない。本自体は買ってあるので、読んでいこうと思う。
(2024/05/18)