常々思うが、「これを言ってはいけないな」と思ったことは大抵本当に言ってはいけないものだ。しかし、自分のなかにある何らかの衝動により、「言ってはいけない」が「だけど、言いたい」に負けてしまい、言ってしまうことがしばしばある。そして、言ってしまうごとに後悔する。「言ってはいけなかった」と。
おそらく、いままでもそういった、言ってはいけないことを言うことは何度も行われてきたと思うけれども、ここ最近にきて幾分かそれに自覚的になってきたと思う。
言ってはいけないが来たら、発話をするのを抑える。言いごもる。瞬間的に自分の衝動に従って素早く発話をおこなっていたら、だれかを傷付かせ、怒らせるようことも、理性で考え、ゆっくりとコミュニケーションをすることで避けられる。避けられる可能性が上がる。
とにかく世間では、相手の言ったことに対して当意即妙に素早く答えることがもてはやされる。確かに自分もそうしたコミュニケーションの仕方に憧れを抱かないわけではない。しかし、素早いコミュニケーションの華があまりに明るいあまりに、ゆっくりとした目立たないコミュニケーションの重要性が失われているのではないか。相手の言ったことをしっかりと咀嚼して、考える時間が失われているのではないか。そんな気がする。
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晴れ
『会話の哲学』
『なめらかな社会とその敵』
(2022/10/25)