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社会から外れて思ったこと

私は芸大卒業後、就職をして社会人としての一歩を踏みだした。

最初の職場は男性中心の港工場で、
フォークリフトを使ったりして、トラックから荷降ろしをしたり、倉庫の中のものを出して積み込んだりしていた。

就活の時の配属と違うなあ、とは思いながらも、
最初の職なので、会社とは人事の振り分けでこういう場合もあるのかな、と考え、目の前の仕事を一生懸命頑張った。


ただ、繁忙期になって予感は確信に変わった。


来る日も来る日も山のようなリスト。
リスト通りに倉庫から物を出してくる。
定時なんてどこいった状態。
終電間近まで連日残った事もあった。

みんな最初は優しく教えてくれていたのに、
時間が無いから空気がカリカリし出して、
怒鳴られる事もしょっちゅうあった。

理不尽な怒りに涙が出て帰ったことも何度かある。
そんな時にふと思った。






……
…………このまま働いてて何が残るんだろう?







お金?
サービスの価値?
経済を回す労力?





…………………………………いや、
……………………もしかして………何もない?


そう思った時、心の中で何かがポキンと折れた音がした。


……………………………………
……………………………………

話は過去に戻ってしまうが、
芸大を受験した時の話になる。

昔から絵を描いたり物を作るのが好きで、
図工の時間が本当に楽しみで仕方なかった。
私が作った作品で、周りの人が喜んでくれたり、笑顔になって楽しんでくれるのが何よりのやりがいだった。

だから大学を選ぶ時に、迷わず芸大や美大を探した。

実技のための予備校、いわゆる画塾に通い、
長い時は12時間も実技対策に没頭する日々。
技術が追いつかず、辛い時もあったけれども、
不思議な事に、一度も美術から離れようとは思わなかった。
泣きながら帰っても、明日もまた立ち向かおうというエネルギーが湧いてきた。

予備校時代をもう一度経験したいか?と聞かれたら、ほとんどの人はNOと答えるが、私はYESと答える。
なぜならどんなに辛くても、
自分に対する投資が出来るのが本当に幸せだったからだ。

………………………………
………………………………

会社は人をコマとして扱う。
合理的かつ生産性のある人事の配分によって。

社会はそういった会社の集まりで出来てる。
経済を回すための、歯車。

歯車を回すのは人。歳をとったり、使い物にならなくなったら、新しいものと取り替えて、半永久的に経済は回り続ける。


………………そこに私の生きたい社会はなかった。

私がいなくたって、会社は代わりの歯車をはめて回ってゆく。
私という歯車がどれだけ擦り切れるまで働いても、
お金を生み出し、お金を使って経済を回しているだけ。




わたしは、

お金持ちになりたい訳じゃない。
オシャレしてメイクもヘアスタイルもバッチリにしたい訳でも無い。
都会に出て最新のモノに囲まれて裕福な暮らしをしたい訳じゃない。




ならば、
わざわざ経済を回す渦中に行かなくても、
最低限自分が生きられるだけの事をすればいいのでは?
私が作った作品で、周りの人が喜んでくれたり、笑顔になって楽しんでくれるのが何よりのやりがいだった
このやりがいが満たされれば、会社で働く必要は無いし、生きられればいいんじゃない?





心を病んだ今、そんな事を思った。

社会不適合者と言われるかもしれない。
逃げてばかりいる浮浪者だと言われるかもしれない。
でも、私はこの生き方で私の人生を歩む。
私以外の替えがきかないような、美術で人を喜ばせる唯一無二の存在になりたい。



そう心に決めて。





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