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実務編 | IR業務ツリー | ④エンゲージメント編【後半】

当コンテンツでは、新任のIR担当者がIRの全体像を理解するためのガイドとなることを目指します。

前回のコンテンツでは、IR担当者が押さえておきたい実務編のうちエンゲージメント系 | リレーション企画についてお話ししました。
※IR業務ツリーの全体像はこちらをご参照ください。

今回は、IR業務ツリーのうちエンゲージメント系 | 投資家情報・インフラツールについて概説します。

エンゲージメント系業務

1. 投資家情報

実質株主判明調査

実質株主判明調査は、株主名簿では把握できない実質的な保有者を特定するために、外部委託を通じて行われる調査です。その主な目的は、投資家の保有状況を正確に把握し、企業価値向上に向けた建設的な対話(エンゲージメント)を促進することにあります。つまり、エンゲージメントを実現するための手段として、この調査が行われます。

単に保有状況を調査するだけであれば、FactsetやBloombergなどのツールでも簡易的に確認することが可能です。そのため、創業者やPEファンドといった特定の大株主の保有比率が高い企業や、議決権行使における票読みの必要性が低い企業にとっては、実質株主判明調査を行う費用対効果は限定的かもしれません。

調査対象と実施頻度
この調査の対象となるのは、国内の機関投資家(株主名簿では信託銀行に分類)や海外の機関投資家です。調査の頻度は半期や通期ごとに実施されるのが一般的です。国内投資家はインデックス比率が高くあまり変動しないため通期に一度、海外投資家はアクティブ比率が高く変動が大きいため半期に一度、とするのも良いでしょう。なお、調査は一般的に運用会社の法人単位で実施されます。

IRとSRにおける調査活用の違い
IRもSRもエンゲージメントを目的とすることは共通しますが、実務においては調査に対する期待が異なります。IRでは主にターゲティングの精度を高めるために、ファンド情報にドリルダウン(運用スタイル、ファンドマネージャーのプロフィール、所在地、保有履歴など)することが重要です。一方、SRでは議決権行使促進の精度を向上させるために、共通の議決権行使ガイドラインを有する法人グループとしての保有情報を正確に把握することが重要です。

実質株主判明調査のIRとSRにおける活用


要するに、IRはターゲティングの強化を目指し、SRは議決権行使に向けた精密な対応が求められるという違いがあります。

継続的な学習と経験の必要性
実質株主判明調査の結果を正しく理解し、効果的に活用するためには、資本市場プレイヤーの構造や法令規則など、他の職種では触れにくい専門知識が必要です。

プレゼンテーションや資料作成といったディスクロージャー系の業務は、他部門での経験者が早期に戦力となったり、経験を積むことで上達しますが、実質株主判明調査に関連する業務は他部門出身者が即座に戦力となるハードルは高く慣れだけで習得することも難しい領域です。IR担当者にとっては、日々の業務に追われながらも、時間をかけて継続的に知識を深めていくことが求められ、3年程度の長期的な視点で取り組むのが理想的です。

この調査を深く理解することで、ターゲティングやSRにおける重要な論点がクリアになり、IR担当者としての付加価値が一層高まります。まずは外部委託先のコンサルタントのレクチャーや定期的な資料の振り返りを通じて、着実に理解を深めましょう。こうしたプロセスを通じて自分の成長を実感し、モチベーションを高めることにもつながります。

判明調査会社との連携
ファンドによっては、運用が他の運用会社に再委託されている場合や、マルチマネジャーファンドとして複数の運用会社に運用委託されている場合があり、投資家との対話の中で判明することがあります。このような情報を入手した際は、ぜひ実質株主判明調査の委託先コンサルタントに共有しましょう。今後の調査の精度が向上し、より正確な保有状況の把握につながります。

期待できる学習効果と応用できる業務
実質株主判明調査のリテラシーを高めることで、さまざまな学習効果と実務上のメリットが得られます。以下はその一例です。

❶投資家情報の理解
• 社名、運用規模、投資哲学、担当者を関連付けて理解できるようになります。
• 取材リクエストを受けた際に、その重要度や優先度を的確に判断でき、マネジメント対応かIR対応かを決める尺度を持つことができます。
• 証券会社などから提供される様々なIR支援資料の読解力が向上します。
• NDRでのマネジメントのアテンド時に、より効果的にサポートできるようになります。

❷議決権行使促進
• 特別な議案や反対行使が予想される局面で、票読みの精度が向上します。
• どの投資家がどのような議決権行使基準を持っているかを学ぶことができ、議決権行使促進に役立ちます。

❸ターゲティング
• ヒストリカル保有データを追跡することで、平均取得価額を試算し、今後の投資行動を推測したり必要なフォローアップをできるようになります。
• 保有状況を把握することで、どの投資家(またはファンド)が既に保有しているか、あるいは未保有なのかを特定できます。
• 地域別の分布を理解することで、グローバルな視点でのターゲティングにも役立ちます。

〜実質株主判明調査は最高の教科書〜
実質株主判明調査の最も有意義な点は、投資家情報を覚えるための絶好の機会を提供してくれることと思います。

私自身、最初の上司が証券会社の海外営業の出身で、投資家の投資哲学や保有履歴、投資心理について深く語れる姿に憧れていました。その上司に一歩でも近づきたいという思いから、最初に取り組んだのが、この判明調査資料の読み込みでした。

投資家情報を覚えようと思っても、どこから手をつけるべきか分からないこともあるかと思いますが、判明調査資料はまさにその道しるべとなります。体系的に投資家情報を理解し、必要な知識を効率的にキャッチアップするための「教科書」のような存在です。

ターゲティング

IR活動において、投資家との効果的な対話を実現するためには、ターゲティングは極めて重要です。全米IR協議会(NIRI)の定義によると、「IRは戦略的な経営責任」とされており、投資家対応は経営の重要な責務と位置付けられています。しかし、全ての投資家と経営トップが直接対話することは現実的に難しいため、ターゲティングによって優先的に対話すべき投資家を選定し、経営者との対話を最適化する必要があります。

ターゲティングの目的と対象
ターゲティングの主な目的は2つあります。1つ目は、経営トップの貴重な時間を有効活用するため、対話すべき優良な投資家に絞り込むことです。2つ目は、企業が目指すべき株主構成をプロアクティブに構築するため、適切な投資家を選定することです。

ターゲティングの対象は、企業の成長ステージによって異なります。例えば東証プライム上場企業の場合、ターゲティングの主な対象は海外機関投資家となることが一般的です。プライム上場企業は既に国内での知名度が高く、流動性も確保されています。そのため、さらなる買付を期待する場合には、アクティブ運用比率が高い海外投資家を優先するのが効果的です。

実際に、全世界でのアクティブ運用比率は60%を超える一方、国内ではアクティブ運用比率が低く、例えばGPIF(年金積立金管理運用独立行政法人)の国内株式におけるアクティブ運用比率は10%未満です。このような背景から、ターゲティングでは海外投資家が重要な対象となります。

参考:Willis Towers Watson, "The world’s largest 500 asset managers"

Willis Towers Watson, "The world’s largest 500 asset managers

ターゲティングの手法
ターゲティングの実務では、まずはマスターファイル(優先順位リスト)を作成し、それを目的に応じてカスタマイズしながら運用します。年に一度はこのマスターファイルを見直すことが望ましいです。

マスターファイルには、社名、主担当者、運用スタイル、拠点、保有株数、日本株運用資産残高(AUM)などの基本情報に加え、競合の保有状況、ファンド情報、ヒストリカルデータも含めることが理想的です。実質株主判明調査のフォーマットを活用することで、より正確で網羅的なデータが得られます。

重要な補足
❶ファンド別に管理する:同一の運用会社でも、複数のファンドがあり、それぞれに異なる担当者がいる場合は、ファンドごとに管理することが重要です(例:Growth Fund, Value Fund, International Fundなど)。ただし、全ての投資家に対してこれを行うのは手間がかかるため、特に重要な投資家に絞って管理しましょう。

❷拠点や運用スタイルを正確に反映する:拠点や運用スタイルの情報は、ベンダー情報をそのまま使うのではなく、実際にコンタクトを取っている担当者の正確な情報を反映します。例えば、BlackRockやNorges Bankはベンダー情報や実質株主判明調査では「Index運用」と分類されることが多いですが、これをそのまま使うと誤解を招く可能性があります。実際にやり取りとしている主担当者の情報に基づいて上書きし運用スタイルや拠点ごとの正確なリストを作成しましょう。

優先順位の付け方
優先順位の付け方には明確な正解はなく、これは独自のノウハウが価値を生む領域です。一般的には、保有数、AUM、過去のコンタクト履歴、運用スタイル、取材時のインプリケーションや建設的な対話度などを基に、投資家をTier1〜Tier3の3段階に分類します。ただし、現実的に優先度を設定したい投資家は100社程度が上限となるでしょう。

アクティビスト投資家をターゲットリストに含めるかどうかは意見が分かれるかもしれませんが、基本的には他の投資家と分け隔てることなく、保有数や建設的な対話の度合いなどに基づき、優先度を設定するのがよいでしょう。

ターゲティングの成果
このように作成された優先順位リストは、NDRやカンファレンスでのミーティング設定に役立つだけでなく、通常のIR取材のマネジメントにも活用できます。しっかりとしたリストを運用することで、IR活動がより効率的かつ効果的に進められ、経営者と投資家の対話がより戦略的なものになるでしょう。

〜競合企業を保有しているから当社も買ってもらえる?〜
競合企業を保有している投資家をターゲティングで優先すべきかについては、個人的に懐疑的です。同じ業界内で複数企業を保有することは、投資家のポートフォリオ戦略においてリスク分散にはならず、メリットが薄いからです。

しかし、その投資家は業界に対する理解が深く、自社へのリサーチが進んでいる可能性が高いため、コミュニケーションを取りやすいのは事実です。そのため、将来的に競合企業から自社に保有バランスをシフトさせることを期待して、優先度を上げるのは一つの有効な戦略と言えるでしょう。

2. インフラツール

インフラツールは、ノウハウの変化が速く、自由度が高い領域です。メンテナンスを含めてできるだけ人手をかけなくて済むように、自動化や簡略化もしたいところです。

IRのウェブサイトなどデジタルインフラの充実度は、投資家にとって欠かせない情報源となるため、常に最新のトレンドを押さえておくことが求められます。また、ウェブサイトの充実度に関する表彰制度もあり、担当者にとって大きなモチベーションの源となります。こういったGood Practiceを参考にすることで、自社のウェブサイトの改善に繋げられるでしょう。

表彰式への参加はネットワーキングの良い機会にもなります。私自身、そこで初めて知り合った方々と今でも交流が続いており、新しい情報やアイデアを共有する場として非常に役立っています。

インフラツールは技術面だけでなく、評価や外部とのつながりも大きな要素です。最新の動向をしっかりと掴みながら、効果的なIR活動を実現していくことが大切です。

3. まとめ

実質株主判明調査は、株主名簿では把握できない保有者を特定する調査で、継続的な学習と経験が必要です。投資家情報を体系的に理解することで、取材リクエストの対応や議決権行使の精度向上に役立ち、IR担当者としての価値を高めます。

ターゲティングは、最適な株主構成を形成するため、優先的に対話すべき投資家を絞り込む戦略です。マスターファイルを活用し、定期的に更新することで、効果的なIR活動を支える重要な基盤となります。

インフラツールは、IR活動の効率を高め、投資家とのスムーズな対話を促進するために必要不可欠です。ウェブサイトの充実や自動化により、最新のトレンドに対応し、企業の評価向上に貢献します。


ここまでお読みいただきありがとうございました。

次回は、投資家対応についてさらに掘り下げていきます。

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