![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/149002844/rectangle_large_type_2_32f94b230c27a95842d2977db0a2c0d2.jpeg?width=1200)
青空と赤土とバイク・タクシー
🔹高原都市ダラットの朝
ぬかるみの坂道を上りきると、視界が急に広がった。
「わっ、わっ、ちょっと待って!」
先を急ごうとするタクシードライバーの袖を私は思わず引っ張った。
「なに? 止まりますか!?」
ドライバーは不意を突かれたらしく、慌ててブレーキをかけた。
とたんにハンドルを取られ、危うくもろともコケそうになる。
![](https://assets.st-note.com/img/1722309831290-abgQXnODXN.jpg?width=1200)
ドライバーは盛んに頭を下げたが、私は思わず笑いがこみ上げてきた。
これぞベトナムの旅、足元はグチャグチャのぬかるみだからコケたところで大した怪我をするわけでもない。
ドライバーさんよ、そう気にしなさんな。
なにしろこのとき乗っていたのは、古いカブのオートバイ。
いわゆるバイク・タクシーである。
四輪よりもはるかに安く、小回りも利くのでたびたび利用している。
値段は交渉しだいだし、大都市以外なら1日貸し切っても$10ほどで快く働いてくれる(注:90年代末の価格です)。
そのぶん、こちらもある程度の危険は承知のうえだ。
この日も貸し切りの形で交渉し、かなり遠方まで飛ばしてもらうつもりで出発した。
けれど、宿を出て10分と走らないうちに早くも止めさせてしまった。
ちょっと高台に出ただけで、眼下にすこぶる魅力的な景観が広がったからだ。
![](https://assets.st-note.com/img/1722309981448-XVxuG2bCe1.jpg?width=1200)
抜けるような青空と見事なコントラストをなす濃厚な赤土。
そのゆるやかな斜面にヴィラと呼ばれるフランス式の洋館が点在し、周りを果物畑や赤松の林が囲んでいる。
遠方は朝モヤでやや霞んではいたが、街の中心部にある教会やテレビ塔などもかすかに見える。
気温もちょうど頃合いで、さわやかな風が心地良い。
前日までのサイゴン(ホーチミン市)の雑踏を思い返しながら、私は大きく深呼吸した。
🔹清涼な空気と自然の恵み
ここは、海抜1,500メートルに当たる高原都市ダラット。
ホーチミンから北へ約300キロの地にあるベトナムきっての避暑地である。
年間を通じて20°C前後の過ごしやすい気候に恵まれ、豊かな緑の中に適正規模の街並みがほどよい調和を保っている。
大地にはコーヒー園や高原野菜の畑が広がり、イチゴやリンゴなど他の地ではあまり見かけない温帯の果物畑にも方々で出くわす。
![](https://assets.st-note.com/img/1722275885149-aE9hV9fhsm.jpg?width=1200)
市場へ行けば、イチゴジャムや果物の砂糖漬け、アーティチョークのお茶など、ダラットの名産品は事欠かない。
なかでも薔薇はダラットを代表する特産で、花屋の店先は色とりどりの薔薇であふれんばかりだ。
清涼な空気と自然の恵み。かつてこの地を統治国フランスが目をつけたのも無理からぬ気がする。
最初の"発見者”は、19世紀末にインドシナへ渡ったアレクサンドル・イエルサンというフランス人医師と伝えられる。
パスツールの弟子で、ハノイの医学校の創設者であるイエルサンは、この地の気候が保養地として最適の気候風土であることにいち早く注目し、1893年、英国領インドにあるサナトリウムをモデルとした保養地の建設を当時のインドシナ総督に進言した。
かくしてプチ・プロバンスさながら大勢のフランス人が移り住み、インドシナ総督もしばしば静養に訪れたという。
1920年代には総督の命で観光地としての開発も始まり、豪華をきわめたコロニアルスタイルのホテルなどが建設された。
現在のソフィテル・ダラット・パレスは内装こそ大きくリニューアルされたが、白亜の外観は往年のクラシックな趣きを伝えている。
総督の元邸宅も閑静な松林の中に残されており、現在は2階がホテルになっている。
🔹海抜1,500mの「愛の盆地」
ここに別荘を持ったのは、フランス人だけではない。
ベトナム最後の皇帝、バオ・ダイもその1人だった。
のちに皇后となるナム・フォンとダラットで出会い、恋に落ちたと伝えられる。
シチュエーションとしてはさもありなんというところだが、やがて皇帝の座を引きずり下ろされるとも知らず……。
そういえば、作家・林芙美子の小説『浮雲』で、主人公2人のロマンスが生まれたのもここダラットだし、現在ではベトナム人の間でも新婚旅行のメッカと呼ばれるほど (注:これも90年代の話です)。
熱々のカップルを大勢見かけたダティエン湖の周辺は、そんな地にふさわしい「愛の盆地」なる呼び名までついている。
男一人の貧乏旅行には、ちょいとつらい面もある。
![](https://assets.st-note.com/img/1722276388558-AFD9b1WVLG.jpg?width=1200)
そんな寂しさを大いに紛らわせてくれたのが、小麦色の肌から白い歯をのぞかせるバイクタクシーの運ちゃんだった。
ぬかるみやでこぼこ道もなんのその、スーパーカブでひたすら激走してくれた。
風光明媚なダラットの自然を堪能させてもらったばかりでなく、織物で知られる少数民族コーホー族の村を訪ねたり、湖の前で真っ赤なアオザイを着た女性と記念撮影したり……。
![](https://assets.st-note.com/img/1722277499897-Mzz5FEC4aS.jpg?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/img/1722277560903-zggiSOlNuo.jpg?width=1200)
その間、運ちゃんはのべつまくなし喋りまくった。
全走行距離はゆうに100kmを超えていたように思う。
ツアーを無事に終えたとき、感謝の意を込め、少し上乗せした代金を渡そうとしたが、彼は頑として受け取らなかった。
そして、「約束は約束」とひと言。
人の良さそうな笑顔のなかに彼のプライドを垣間見た気がする。
(初出:小田急会員誌『月刊フェミナス』2001年11月号)
※文中にも記したように当原稿の内容、および掲載写真は1990年代末のものです。したがってバイクタクシーの代金だけでなく、道路の舗装状況や街の風景も大きく変わっていると思われますので、その点はご理解願います。