8 働きがいも経済成長も
SDGsの8番、”働きがいも経済成長も”に取り組むことにした。私はつい先日まで、コンビニエンスストアで働いていた。働きがいを感じる仕事だった。日用品を売り、近所の人と挨拶を交わし、礼を言い合う。立ち仕事に搬入搬出陳列、適度な疲労感もあった。低賃金は否めないが、煙草が買えないほどではなかった。
今の日本にこれ以上の経済成長が必要だとは思えなかった。経済成長が絶対善の東京在住の妻と山小屋生活の私、六年ぶりでも二人の間に差はなかった。いやその差を埋めたのがフェアトレードの珈琲豆なのか、だとするとSDGs恐るべし。
バレンタインデイのある2月初めはスイーツ週間である。駅前でスイーツ女子たちが騒いでいた。当然チョコレートだと思えば、その座の真ん中には石焼芋があった。そして彼女たちは干柿について話していた。外国人が日本的なものを語る、それをグローバル化と言ったら大げさだろうか。
チリ人が私の妻とのSNSでの交流をはじめたらしい。珈琲を残して帰ったことを後悔していると伝えられた。
私は電波の入る道を歩きながらフェアトレードについてネットで調べた。意識して買った珈琲豆ではあったが、マーク以外に知識はなかった。児童が安い賃金で働かされている。珈琲、紅茶、カカオ、スパイス、バナナ、綿が代表的なものらしい。大航海時代の交易物のようなラインナップ、つまりグローバル化の闇の部分ということか。干柿や石焼芋にも同じような可能性があるのかもしれないが、グローバル化の波が来るのはまだ先のことだろう。時節柄、気になった品目はチョコレートの原料であるカカオ豆だった。カカオ豆は赤道付近での栽培されている。暑さでチョコレートが融けて指に茶色くつく様子が頭に浮かんだ。赤道とチョコレート、私の頭の中では共存できなかった。面倒なので思考を停止した。SDGsのコツは、あまり深く考えずに行動すること。
働きがいを得るための最良の方法は働くこと。アルバイトを探した。ネットに登録したわけではなく、人づて。こういうときに役に立つのは駅員である。ちょっと相談した翌日に見つけてきてくれた。選り好みをしなければ、仕事はいくらでもあると言っていた。久しぶりの仕事は、東隣の駅でのバレンタインデイ用のチョコレートの製造と配達と販売、文字通りに朝から晩まで。朝はスイーツ女子たちと一緒に通勤、彼女たちに甘いにおいがすると言われた。半月ほど働くと、それなりの収入になった。金が働きがいになるというのは寂しいが、体に染み付いている現代人らしさだ。仕事をするようになると、スマートホンの電源をオンにしている時間が増えた。現代ではネットも一つの経済活動なのだろう。山小屋生活の男の”働きがい”と”経済成長”の活動としては申し分ない。
そしてまた無職に戻った。
チリ人は妻との交流を続けているようだったが、私への伝言ははじめの一度だけだった。妻から東京のスイーツ情報を手に入れているらしい。空気がざわついていた。私は妻を駅まで送らなかったことを後悔していた。しっかり送り返すべきだった。後悔が妻を連想させ、妻が東京を連想させ、私は東京を逃げ出したときの気分になった。バツイチと他人に言うことで断ち切っていたのだ。
2月は寒い。想定以上に薪の消費が早かった。小屋の中で準備運動をしてから、外で薪割りをした。紅白の白菜漬を食べて、珈琲を飲み、煙草を吸った。少し散歩をすると、それだけで一日が終わった。生活するだけで精一杯だった。空気のざわつきはなくなっていた。