オープンワールドゲームをやる話 ーRED DEAD REDEMPTIONⅡよかったよ編ー
僕たちは旅をしたがっている。ここではないどこかへ。ここを超えたどこかへ。
オープンワールド(Open world)とは、英語におけるコンピュータゲーム用語で、舞台となる仮想世界を自由に動き回って探索・攻略できるように設計されたレベルデザインを指す言葉である
(wiki)
今やオープンワールド自体は決して目新しいものではなく、広大なフィールドと点在するクエストをもってしても、類似の作品がいくつもある。
好みは人によってさまざまだ。
広大な世界を歩くだけで楽しい人、探索を楽しむ人、武器を集める人、世界中のアイテムを集めたい人、さまざまだ。そのすべての需要を満たし、要素のバランスが円満に調整された狂ったゲームことゼルダの伝説ブレスオブザワイルドの爆誕によって、間口はさらに広がった。ああ任天堂はオープンワールドゲームさえも、これほどまでに自然な顔で、世界を相手取って勝利するのかと、驚くよりほかないけれど、それはまた別の話だ。
速度感を重視した作品も近年は多い。スパイダーマンは糸を利用したアクションが爽快だったし、ゴーストオブツシマの馬なんかもはや「ツシマの馬」という新生物なんじゃないかというくらい爽快な移動を提供してくれる。
DAYS GONEもグラフィックと銃周りのシステムは非常に快適だった。
やはり早くなっている。敵を倒す、アイテムを集めるといった部分は、洗練されていく。一方で、爽快であることをゲームに求めすぎる向きがあると思う。
サクサクできることを「新しい」ことだと思っている風潮があると思う。移動速度が上がれば世界は狭くなる。
ステージがめちゃくちゃ複雑になっただけで、結局やることはインベーダーゲームみたいなオープンワールドも少なくない。
そのゲームならきっと広大なステージなんかいらないんじゃないかと、思うものも多い。敵のマンネリ化、見覚えのあるロケーション、知らないNPCからの興味のないお使いが
日常になった瞬間、それは冒険ではなく、点取りゲームに変わってしまう。
もちろんスコアゲームもタイムアタックも、ゲームの持つ面白さだ。
だからこれは、いつも通り僕の主観に過ぎない。
僕は旅をしたがっている。
初めてスーパーマリオサンシャインをやったとき、空を飛ぶ敵の影(当時は丸でしかなかったが)が地面に映るのが衝撃だった。
高いところから落ちるとダメージを受けるというのは、ゲームバランス以前に、ゲームの世界が、俺の住んでいる世界とつながっているということだった。
初めてモンスターハンター2Gをやったとき、雪山に輝くオーロラはなによりも冒険の幕開けだった。ハンターは腹を空かし、寒いところでは凍え、暑さは体力を削った。そのリアルこそが、冒険の証だった。
思い返せば俺は、100枚コインを集めることにも、レベルを上げてボスを殴ることも、相性に合わせて手持ちを変えるバトルも、基本的には何一つ興味がなかったのだった。
興味がないのに全部遊んできたのは、新しい世界の仕組みを、知ることが楽しかったからだと思う。
赤コインを集めるとスターが出るということを、体力を増やせば伝説の剣を抜けるということを、赤いビックリが敵の頭に表示されれば増援が来るということを、みんなが面白い世界をつくろうと試行錯誤して、提示してくれているということを。
世界の仕組みが、ゲームの遊び方としっかりリンクしているとき、もちろんそういうゲームは面白いのだけれど、なにより安心する。旅の答えが見つかるからだ。
だから、初めてグランドセフトオートに触れたとき、人が歩いていて、車が走り、天候が変わり、そしてもちろん、主人公が暴れると警察に追われる、現実そっくりの世界が丸ごとゲームのテーマとして使われていることが、たまらなかった。
銃を構えて敵を倒すのは何千回でもできるけど、初めて乗った車でまだ見ぬ目的地に向かうことは、人生で一度しかないのだ。
この世界をシミュレートする旅。それが俺にとって、オープンワールドゲームの原点だった。
初めに書いたように、オープンワールドゲームというジャンルはどんどん遊びやすくなっている。
その一方で、不必要に広い世界が、ゲームのシステムとかみ合っていないことも多々ある。もしくは、ガワをリアルにしすぎたせいで、世界に説得力が足りない(背景は綺麗なのにキャラクターが没個性とか)ゲームもよく見る。
でも大丈夫だ、なぜならROCKSTER GAMESが、オープンワールドが持つシミュレーション性を、世界で一番信じているからだ。
レッドデッドリデンプションⅡ(以下RDR2)をやった。
SkyrimやFalloutがこの世界の常識を変えたように、BotWが業界水準を爆上げしたように、RDR2は体験と世界の持つ意味合いを極限まで昇華させているように思う。
(といいつつ2018のゲームなんだけど、とはいえ2020でこの画質表現を明確に超えたのはLast Of Us Part2くらいだと思うのでまあ…)
1899年、開拓前線(フロンティア)が消失し、不法者が行き着く先を失ったアメリカで、義侠のギャング団の幹部アーサー・モーガンがどのような生き方を選び、末路を迎えるのかを描いたゲームだ。
GTAが現代と車、場合によっては鉄道を色濃く描いたのに対して、こちらは文明の灯が点り、急速にその勢いを伸ばしていた時代と、馬、蒸気機関にフォーカスした舞台となる。
インディアンが居留地を定められ、南北戦争の傷跡は未だ深く、黒人は堂々と差別され、女性選挙権はまだ無い。そんな時代だ。
基本的にはGTAと同様、単発的なストーリーミッションを通して徐々に話が進んでいく。馬泥棒であったり、列車強盗であったり、両家いがみ合う地主の跡継ぎ同士の逢引きを手伝ってみたりと内容は様々だ。
ギャングたちはなんとか一発逆転をしようと日々を懸命に生きていく。主人公は育ての親であるギャングのボスに忠誠と敬意を払いながらも、徐々に時代と己の生き方の矛盾と向き合っていく。
徹底的なリアリティと、”早くプレイする”ことを許さないゲームシステム。特筆すべきはそこだろう。
追い詰められたギャングたちが雪山に逃れ潜むところから始まる、遅々としたオープニング。ファストトラベルは少ないし、アイテムをいちいち手に取って仕舞うまで入手できない、リボルバーは打つ前に撃鉄をあげる動作が入る。
狩りで仕留めた獲物は毛皮を剝いで馬に肉を背負わせて持ち帰る、その一連を操作しないとスキップできない。挙げだしたらきりがない、それも時間かかるの?という手間は、トリガーハッピーなシューターや、とにかく先に進みたい人にとっては邪魔で、理解不能な要素だろう。
実際、このゲームの評価は絶賛と酷評に二分されている。だからプレイ前はもっともっさりしたのをイメージしていたけど、悪評叩かれるほどのものではない。でも、あーここ時間かけるのね、みたいなのが多いから、嫌な人には苦痛になってしまうんだと思う。(俺がニーアオートマタを9Sのハッキングクソシューティング要素の一点のみをもってどうしようもないクソゲーと断定しているのと同じだね!)綿密なディティールとアニメーションが所作のストレスをできる限り低下させている。プレイヤーが主人公と同じ時間を過ごすことで生まれる一体感は、ほかのゲームには成し得ない(少なくともこの規模感では)。ある種贅沢なゲームだ。その辺の山にでも登ってキャンプをして、仕留めた肉を焼いて焚火を眺める、それだけで何時間でも過ごせる。近世フリーターシミュレーションゲームと言ってもいい。
カーステレオもないから、移動中は馬の蹄の音と、風と鳥の鳴き声、時折すれ違う乗合馬車や農民の声だけがある。ゆっくりと、静かな時間を駆け抜ける。実際、馬の移動速度は遅いわけではない。フィールドが広すぎるせいで時間がかかるのは事実だけれど。
あと馬を走らせる間×を連打していないといけないのも車とは違う。面倒だけど、馬に乗っていたら揺れもあるし、車とは違うのは当然だろう。このような細かい面倒がこだわりというレベルで詰め込まれ、しかしそれはアーー・モーガンという一人の人間に寄り添った証として記憶に残される。
そして同時に強く印象として思ったのは、このレベルのオープンワールドしっかりやるなら世界史と地理の知識は必須だな~というものです。
ゴーストオブツシマの影響で対馬に生きたがる外人が急増したというのは面白い話だけど、崖がちの地形や平屋の村といった日本のロケーションは確かに他のオープンワールドでは味わえない独特の味があった。
RDR2も半端なく広いフィールドにグレートプレーンズの堆積層、浸食によるドーム状の岩山、氷河由来の湖と針葉樹林がある。西部の山岳地帯によって降雨の少ないふもとの農村が乾燥地域気味なのも、確実に自国の地理を取り入れた結果だと思う。
黒人女性の迫害は今でも話題になることだしさほど違和感はなくとも、蒸気機関が仕事を奪う、工業化は悪魔の計画だといった文明化の時代感や、街のすみで飲んだくれる足を失った南北戦争帰還兵、都市部で徐々に増えていく移民の集団(チャイナタウンまであったのは驚きだったけど、そういえば大陸横断鉄道は中国人の人夫も多かったという話あったな!みたいな腑の落ち方があった)にどこまで関心が持てるかというのは、もうプレイヤーが試されてんのよ。同時にこれはアメリカ人にとってはどこまで当たり前なんだろうみたいなことも気になった。インディアンと軍のいざこざの油に火を注ぐ話があるんだけど、こんなの井戸に毒じゃん。日本のゲームで慰安婦像を立てよう!みたいなミッション内容のゲームが売れると思うか?
好きとか嫌いじゃなくて、知っているから楽しめるのな。難しい話がしたいわけじゃなくて、ただただ、知らないと知らないままなんだよな。なんでもそうなんだけど、オープンワールドはとくに地形がモノを言うから。
オープンワールドが好きなら今積んであるオープンワールド全部クリアしてからやってほしい。間違いなく名作だから。
この話のメインはオープンワールドゲームだけど、べつにオープンワールドに限った話じゃない。
ゲームを始めた瞬間の、何をすればいいのかわからない瞬間が好きだ。さあなにをしようかと、考える時間が好きだ。
それは一人旅のどこへ行こうかという感覚と似ている。この路地を曲がったらどこに続いているのだろうか。
やることと行く先がわかっていればいいという話ではないのだ。それはただただ贅沢な空白で、世界に対する信頼だ。
僕たちは旅をしたがっている。実際に歩いたかどうか、もちろんそれも大切だけれど、遠くに行きたいだけじゃないんだ。ただ、心が旅をしたがっているのだ。
新しいことを知りたいのだ。そこに心躍る物語が伴えば、何よりうれしいと思うのだ。