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解釈と信頼

言葉が、その使用現場において何を託されているかをより精緻に汲み取る力を付けたい。

所属組織がとある大学と行なった調査分析の結果を報告するシンポジウムに参加した。その報告の中で、その組織内で普段使っている言葉が、大学との共同研究では大きく異なる扱いを受けていることに気づかされた。その言葉を使う意図についてモデレーターに質問してみると、政策提言を見据えて省庁が出している見解に引き寄せたこと、子どもにもわかりやすい言葉遣いを心掛けたことが大きな理由であることがわかった。この2点には納得したが、それでは所属組織が普段その言葉に特別な意味づけを与えるとともに、その構成員それぞれが独自に多様な意味づけを与えることを許している意義は何なのだろうか(活動と政策提言のための調査分析が異なる文脈を有していれば、その組織がその調査分析に協力する意義が薄れ、調査分析結果の解釈も最大公約数的な内容になり得る)と考えてしまった。

私がこの所属組織を好きな理由の一つに、組織の意志を託された「組織用語」を多数持つことがある。その用語は、もちろん所属組織がゼロベースで発案したものではなく、たいていはコンサルティングやプロジェクトマネジメント、モチベーション管理にまつわる人口に膾炙した理論を集積し、所属組織の事業内容や信念と適合するよう意味づけ、一定のストーリーに落とし込んだものである。そしてその用語は、組織での研修と実践を通じて、構成員の思考回路に浸透していく。

組織での活動を始めた当初は、それが呪縛か洗脳に感じることもあり、逆に組織のカラーから逃れること、より自由な発想で、組織用語の盲目的な使用から逃れながら活動を設計することを意識していた。しかし、組織を離れ、別の組織を渡り歩く中で、「組織用語」というものが組織の存在価値や構成員同士の価値認識のすり合わせや連帯に大きく貢献していることに気づいた。また、先述の通り、所属組織では各用語に対して構成員それぞれが意味を与えることを歓迎している。幼少期の原体験や学習に基づいて得られた物事への認知を当該用語と関連させて解釈することで、その構成員がその用語をより自らの感覚に引き寄せて用いることができるからである。自分事、一人称の問題意識は、このような言葉と自己とが近接した状態になってはじめてその輪郭をあらわにするように思う。

国全体の舵取りにインパクトをもたらす政策提言を見据えた子ども向けの調査分析であれば、言葉遣いに込められた政治性を薄め、先行する事例と親和的でわかりやすい言葉を用いることは理にかなったアプローチである。しかし、私自身所属組織での活動を通じてその言葉の意味を深く考えさせられる機会が多く、周りの構成員もその言葉に関して多様な葛藤を抱えながら、自分なりに意味づけながら毎日の活動を行っていたという肌感覚を持っている。その言葉について、研修でたたき込む組織としての解釈すらも、その解釈を講義する組織の職員を始め、組織に関わる人々による体験に基づく意味づけに大いに根差していると思っているし、そうであるからこそ、その言葉は現場で生命を宿していた。したがって、このような考えを持っていた自分は、その組織が世の中に向けて使うその言葉が、「組織用語」ではなく「政策用語」としての純化された色彩を帯びていることに驚きと落胆を覚えたのであったし、同時に、そのようなスタンスを長らく取っておきながら調査分析においてその旨を補足説明すらしない組織の姿勢についても少しだけ残念に思った。

主語が自分であっても組織であっても、
使う言葉にどんな意味を託しているか、
意味が託されるまでにどのような逡巡や葛藤があるか、
またそのような惑いと意志をどの程度含ませて用語の定義を行うか。

これらの点に敏感になり、きちんと汲み取る力を付けることを、次回参加以降の課題としたい。


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