君の言葉で語ってくれ。
ずっと真夜中でいいのに。が好きである。
完璧主義な私は、何度でも記事を消してしまうし、それどころかアカウントも度々初めからやり直したくなってしまう節がある。
きっとそれはnoteという一般向け創作コンテンツにおいても芸術性を求めてしまう故で、そこには一貫性がないと嫌なのだ。
こういうものを書いて、こういうことは扱わない、そういったことを決めた上で初めはやるのだろうけど、たまに気が変わってその後者にも触れた内容を書いてしまうことがいずれ自らに強い違和感や抵抗を覚えさせてそのキャラクターごと捨ててしまいたくなるのだろうと思う。
だからアーティスト(歌手)って凄いなと思う。
作品が一般流通しているほどの知名度があるアーティストなら、その時書いた曲が後々嫌になっても、好きじゃなくなっても消すことはできないし、そのアーティストの作品として一生自らに付き纏ってくる訳である。
そんなの私には耐えられないし、もう名前ごと捨ててしまいたくなるだろうと思う。
本人には本人の苦悩があるのかもしれないけど、そうやって初めから今まで一貫性を持って活動しているアーティストを見ると本当に尊敬する。
それが冒頭で述べたずとまよ(通称)で、
これだけ音楽性は勿論だし歌詞の付け方、タイトルの付け方にも全てがずとまよだと分かるようなアーティストスタイルがたまらなく好きだ。
だからこうやって曲がりなりにも小規模にnoteという創作活動…というにも烏滸がましいけどそういったことをする私には一貫性が必要なのだろうと思う。
キャラクター性、扱う内容、タイトルの付け方、全てに至るまで後悔しないように動こうと思って色々と思索を巡らせたけど、そうしていると次第に自分の言葉が分からなくなった。
どんなことが言いたくて、どんなキャラクターを築きたいのか。
でも、真似をしてみてもそれはきっと真似のままで、”その誰かに似た二番煎じ”にしかなれないのだと思う。
だから、私は私の言葉で、君は君の言葉で語ってくれ。