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幼少期編②

幼少期編、まだ少しだけ続きます。

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心理的に過激な表現が含まれますので苦手な方は閲覧にご注意ください。
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その頃の家は
D父(※)、母、自分、妹、の4人…に
リビングに大きいクローゼットを置いてその裏に作った一畳半ぐらいのスペースに次女の姉がいるという状態だった。

(※…母が5度再婚している為、A-Eまで割り振る。この5人の中に4姉妹の義父と実父が混在している。)

次女はD父との折り合いがひどく悪かったようで大嫌いで家にほぼ居なかった。
たまに干してある洗濯物の中に制服があれば[今、居るんだな]と認識するくらいで遊んだりご飯を一緒に食べたりした記憶はほとんど無い。

後日談で、姉も義務教育が済むまでの我慢だった、当時はほとんど帰宅してなかったと語っている。

﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏﹏

3~5歳くらいの記憶だけれど
この時の家はやや羽振りよく、豊かな暮らしだったと垣間見える部分があった。

まずD父の職場で、デスクを覆い尽くす札束を見たことがある。帯付きの。

D父の趣味?であろう
航空機のジオラマや図面が部屋中にあった。

ひな祭りのひな飾り。
アロワナが悠々と泳げるサイズのガラスケース。
ツマミを回すとオルゴールが鳴る仕掛け。

夢の国のネズミの形をした黒電話。

…あの雛飾りはよく目についていたので片付けていなかったんじゃないかと思う。
3歳のひな祭りの写真には何故かハングルの国の装束を着た自分。
色々ちぐはぐな気もするが、無理やり合点が行く説明をするとしたら
母親側の血族、ルーツにハングルの国が混ざってる説が強いと親族の噂で聞いたことがある。
母親や姉が簡単な挨拶や単語なら話せるという場面を本場焼肉のお店で見た事もあるし、食事している姿などは片足を立ていたスタイルなので
その噂をにわかに信じてしまう要素でもある。

先祖代々、日本に根付く家系を持っている寺出身のD父と食事マナーで揉めてたシーンも見た。
いつからかD父が諦めたのか母親だけはそのスタイルで食事したままだったが
私はD父に箸の持ち方、食べ方、茶碗の持ち方などをキツく言われるようになるという…
正座スタイルだったのを女の子座りに許して貰えたのは小学生の成長期で膝を痛めてからだった。
妹は特に箸などを教わっていなかったからか大人になって箸の持ち方が変だと気づいて少しコンプレックスにしてたらしい。
ホントに毎回毎回、矢が向く先はどうにも私らしい。

話がやや脱線したけれど

家が散らかっていた印象もなければ
整然と片付いていたというのも無い。
色も柄も特にこだわりの無い感じ。
キャラクターものは少なかった気がする。
寝室に広々と雑然に布団が並べてあったなぁ、ぐらい。

その頃にはもう親の情事を見かけることが度々あった。
リビングから寝室に入ることを禁じられたら
情事最中、ということ。

脳裏にまだその映像や音声が残っていて今でこそだいぶマシにはなったものの
以前は鮮明すぎて夢の中で犯される夢まで見た程苦しかった。
多分記憶にある限り身体の性被害は無いんだけど…。

おっと、修正。

リビングにはやたら大きいテーブルがあった。


この家の事を幼いながらにやたら覚えてるのにはもう1つ理由がある。


ある時、母親が雨の中帰宅して
玄関から[タオルを持ってきて!]と言われて持っていったら

黒い……

びしょ濡れの犬。

捨てられていたのを拾ってきたのか
括られていたのを持ってきたのか(意味深)
出自不明の犬。

黒いトイプードル。

名前は[クロ]と呼んでいた。
のまでは覚えている。

けれどクロとリビングや寝室で遊んだり、散歩に行った記憶が全くない。

思えば、脱衣場と風呂場でしかクロに会ってない。

…お気づきの方もいるでしょう
ずっとクロはそこにしか居させて貰えなかった。

散歩も遊ぶ事も母親の気まぐれでしかない。
(D父は仕事でほとんどいないので無理)


⋆┈※ここから胸糞表現含むので注意

母親がヒステリックな声を上げて帰ってきた日。

聞こえたのは

[クロが轢かれた!!!!]

家から幼稚園に行く
最初の大通り。いつも通る道。

夕焼けの時間。

そこに、血溜まりの中
目を開けたまま口を開けて
ピクリとも動かないクロが居た。

あまりの光景に放心状態だったと思う。

母親は何度も[リコリス見て!クロが赤い車に轢かれたの!死んじゃったの!!]と繰り返し泣き喚き叫んでいる。

D父は顔色変えず淡々と事故処理をしてた。

クロの遺体を引き上げ、ダンボールに入れ
僅かに固まり始めた血溜まりを家の庭先からホースを繋いで水を散布して流して…

私はずっとそれを見てた。

次女が私を家に引っ張って連れ帰ってくれたようだ。

家の中で母親は狂ったように人間用の救急や警察に電話をかけて対応を断られるとブチ切れていた。
警察も既に現場も処理されていると対応出来ないとのことらしい、というのは何となく会話のやりとりのニュアンスから分かった。

しばらく母親、D父、次女の3人が怒鳴り合っていた。

陽が落ちて暗くなって少し落ち着いたのか[クロを埋葬する]といって
D父が庭のガス管の脇にスコップで穴を掘りそこにクロの遺体を埋めた。
そして私達に[手を合わせろ]と。
次女が泣きながら[クロとバイバイだよ]と教えてくれた。
死というものが分からないであろう私に何とか説明してくれたのだろう。

そしてD父が急に坊さんらしく、片手で祈ってる所を見た。
後にも時折見て知ることになるのだけれど
D父は確かに僧侶として修行していたようだ。

…血溜まりを見る
家族が怒鳴り合っている
そんな酷い場面を
幼少期の私の目を耳を覆って隠すような人は居なかった。

翌日には皆、ショックは残っているものの普通に過ごしてる。

私は幼稚園に行くその道で
前に見た轢かれた茶トラ猫と
血溜まりの中に居るクロが頭で重なっていた。

この出来事から急に、幼稚園ともお別れすることになる。

お友達とお別れ会する間もない
突然の引越し。

この期間は私の記憶が朧気で抜け落ちているので次女に補完してもらうところを要約する。

*クロの死は母親による故意的なもの
大通りで車が通った瞬間クロが吠えて飛び出したと母親は証言したが
実際は[わざと]リードを手放した
クロの世話をするのが面倒になったらしい。

*急な引越しは母親が某学会に入信、母親の兄弟姉妹が信者、リコリス子供たちの面倒もあるし近所に住もうという提案とD父の職場の兼ね合いが合致した。

*幼稚園の僅かな交友関係の人達から急なお別れという事は何かと入り用でしょう…とお金を受け取ってウハウハ

ということが起こっていたらしい。


ここから先の話は5歳以降の小児期になります。
この先も家族での幸せエピソードは大して出てきませんし
真っ黒エピソードがもっと続きます。
私の自叙伝として、こんな人生を歩んできて今なんとか生きてる人が居ることを知って貰えたらそれだけで嬉しいです。

まるでドラマのような
完全ノンフィクション、実体験のリアルストーリー。


後日、またお話しようと思う。
また見てくれたら嬉しいです。


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リコリス @No_Date070263



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