青の葉脈、緑のうみに
ちょうど1年前の今ごろ、とても些細なきっかけから初めてちゃんと物語を書いてみようと思った。たまたま大学のサークル活動で自由形式の文芸作品を発表することになって、それから3週間という限られた時間で取り憑かれたように書き上げたのが『青に、潤む』だった。
もうあれから1年も経つのに、いまだに私は『青に、潤む』以上の物語を書くことができない。これはとても情けない。生活環境も人間関係も私自身も大きく変化したはずなのに、「うみちゃん」と「繭実さん」、そしてあの県立大学附属研究所の景色が頭の中にこびりついて離れないのだ。
『青に、潤む』を書いたときのテーマは「執着・執念」で、これは自分で提案したのだけど、結局のところ私はいまだにこのテーマを引きずっている。
だれかのことをもっと好きになりたいと思ったらいつも『青に、潤む』の話をする。その人と交わした言葉を少しずつ引用しながら、Wordの文章で10ページほどの物語について何度も何度も違う言葉で語ってみる。
私は私が作り出した物語に執着している。まるで小さな細胞が無限に分裂をくり返していつのまにか熱くて新しい生命体ができあがっているみたいに。それは恥ずかしいことのように思えたけれど、ゴッホだってひまわりを、モネは睡蓮を、ドガは踊り子を描き続けたのだ。そう考えると執着も悪くないように思えてくる。
結局のところ私はずっとずっと同じことを問い続けている。
私はなにが好きで、なにが嫌いで、なにが欲しくて、それはなぜなのか。
どうして生きることはこんなにも痛いのか。私以外のみんなは、痛いときにどうしているのか。もしかしたらみんな私よりも痛いことがたくさんあるけれど、我慢したりどうにかしたりしてそれなりに対処しているんじゃないか。もしそうだとしたら、どうやって私はもっと痛みに強くなれるのだろうか。いやもしくは、私や私のまわりの人ができるだけ痛みを感じないですむように、私はなにをすればいいんだろうか。
私はもう大人だから、朝がきたらご飯を食べてバスに乗らなきゃいけない。夜になったらお風呂を掃除して1時には寝なくちゃいけない。メールやLINEの返信をして、その日のうちにできなかったことをリマインダーに書いて、忘れたふりをして眠る。
本当は自分が感じたどんな小さな痛みも忘れたくないし、気づかないふりをしたくない。本当はその日感じたすべての痛みのことを思って泣いて、ちゃんと怒って絶望して、幾つもの痛みのお墓に花を手向けたい。
けれどそんなことをしていたら次の日の朝8時に起きることなんてできなくなってしまう。すべてのお墓を夜のうちにまわることなんてできない。
なんで?どうして?という問いは終わらず、小さな部屋と空っぽの脳みその中に答えが見つかることもなく、弔ったはずの痛みの幽霊に囲まれて1日を過ごしてしまう。
でもそんなときこそ腹筋に力を入れて起きあがらなきゃいけないのだ。
私は絶望するために生まれてきたのではない。
悔しかったことや悲しかったこと、1人で虚空に向かってつぶやいているだけだと自分がとても弱く感じる。
団体やサークルに所属して、みんなで叫んだり笑ったり励ましあったりしたら、少しだけ自分は正しかったのかもしれないと思えるようになる。そこには希望もあるし怖さもある。
もしかしたらその過程でたくさんの人を傷つけてしまったかもしれない。痛みを加えられて苦しんでいた私が、もしかしたら今はほかのだれかに痛みを加えてしまっているかもしれない。ごめんなさい、と思うけれど、それでもきっと歩みを止めてはいけないのだ。だから前に進むことは残酷だ。それでも必要なんだと思うしかない。
だれかを傷つけることを過度に怖がってなにもできないより、「ごめんなさい」をみんなで少しずつ分け合いながらそれでもなお、前に進んだほうがいいと今は信じている。
痛みを感じる人と感じない人が対立するのではなくて、大きさも種類も深さも違ういろんな痛みにみんなで花を手向けられるようになりたい。
ごめんなさい、とかわからない、とか思いながら一緒に泣いたり叫んだりしたい。
私たちはどこまでも恵まれている。この世に存在しうる、想像することもままならないほどもっともっと大きな痛みのことを思うと、残酷に限りはない。
それでも、とくり返し言い聞かせる。今は前に進むことが、私にできる最善のことなのだ。
このように「アクションを起こす」ことや「声をあげる」こと、なんらかの運動に携わるということは、姿すら見えないだれかを傷つけてしまう可能性がある。
だから私は自分の中に生まれては消え、ときには頭の中にこびりついて剥がれることのない物語を大切にしようと思う。
ロゴスや倫理やロジックよりも強い力を物語は持つことがある。それは怖いことかもしれないけど、私はしばらく執着したままでいい。
ガラスの箱に閉じ込められた森の青い葉脈と、ざわざわと大地を優しく撫でるように揺らす緑のうみを思ったままで。