新宿駅の通路には前日の記録的豪雨で大きな水たまりができていて、駅員がそれをモップで掃くのを横目で見ながら劇場へと向かった。地下通路に水の捌け口はなく、駅員は水を吸いきったモップをバケツの上で絞ってはまた床を掃くのをずっと繰り返していた。 思えばその光景が、すでに今回の観劇体験の入り口だったのかもしれない。 『パラナ・ポラー』の舞台は近未来のアルゼンチン。どういうわけだか周囲の陸地は凍結してしまい、二人の女性・ポラーガとグリンガはコルドバの街を目指してパラナ河を下る。二
真冬だというのにありえないほどの暑さで目が覚めた。身体がまるで、汗を吸ったヒートテックやフリースのパジャマに埋もれてしまったようだ。羽毛布団と毛布を右足で蹴ると、わりと鈍めの音がして、足元にごちゃごちゃと置いてあった服や荷物もいっしょに部屋の角へ蹴飛ばされた。 まどろみの靄がすうっと引いていって、意識が徐々に明瞭になっていく。けれどもまぶたを開けることはできない。服が皮膚にまとわりついて寝返りを打つのも億劫だ。下半身全体に鉛が溶かしこまれたみたいに身体が重い。 壁
友人のリーちゃんは最近、近所のスーパーの冷凍マンゴーにハマっている。 そのまま食べるのもおいしいし、牛乳と一緒にミキサーにかけるのも、カレーに入れるのもおいしいらしい。 小さなサイコロみたいなマンゴーのかけらをひとつもらって口の中に入れると、サディスティックな甘さとストイックな冷たさで歯がきりきりと痛む。まるで9月の残暑みたいだ。 その日、友人たちと食事をするときも、リーちゃんの手には冷凍マンゴーの袋があった。自分の部屋の冷凍庫からちゃんと持ってきたのだった。 リーちゃん
私の家にはテレビがなかった。 それも一人暮らしの家じゃなくて、9歳から18歳まで過ごした実家の話。 9歳までは家にテレビがあった。 1995年、ナショナル社製。ともすればレトロ好きの若者から「かわいいー」と言われかねないあのブラウン管テレビである。 ブラウン管のテレビを見たことがあるだろうか。 最近よく現代アートの展示でも使われるようになったようだ。縦・横ともにわりと小さい画面サイズのくせに厚みが数十センチもあって、1人で持ち上げようとしたらぎっくり腰を起こしそうなく
ちょうど1年前の今ごろ、とても些細なきっかけから初めてちゃんと物語を書いてみようと思った。たまたま大学のサークル活動で自由形式の文芸作品を発表することになって、それから3週間という限られた時間で取り憑かれたように書き上げたのが『青に、潤む』だった。 もうあれから1年も経つのに、いまだに私は『青に、潤む』以上の物語を書くことができない。これはとても情けない。生活環境も人間関係も私自身も大きく変化したはずなのに、「うみちゃん」と「繭実さん」、そしてあの県立大学附属研究所の
トラウマサバイバルの記録と記憶 2017年 (17歳-18歳)2019年 (19歳-20歳)