私の家にはテレビがなかった
私の家にはテレビがなかった。
それも一人暮らしの家じゃなくて、9歳から18歳まで過ごした実家の話。
9歳までは家にテレビがあった。
1995年、ナショナル社製。ともすればレトロ好きの若者から「かわいいー」と言われかねないあのブラウン管テレビである。
ブラウン管のテレビを見たことがあるだろうか。
最近よく現代アートの展示でも使われるようになったようだ。縦・横ともにわりと小さい画面サイズのくせに厚みが数十センチもあって、1人で持ち上げようとしたらぎっくり腰を起こしそうなくらい重い。背面のケーブルは赤や黄や黒があって埃が積もっているのが常であったから、よく火事にならなかったと思う。
ブラウン管テレビの画面は湾曲しており、表面にはかすかな静電気が発生する。学校のプリントや髪の毛を近づけると画面に吸いつく。画面に唾が飛ぶと、水滴がついた部分が拡大されたようになって、どんなに有名なタレントの顔も赤・緑・青の光の点の集合にすぎないのだとわかる。まだアナログ放送の時代だったから深夜には砂嵐が発生した。
たまにテレビ本体の調子が悪いと番組の映像も綺麗に映し出されなかった。そのたび母は「ちょっと喝入れてやる」と言って大きいお尻みたいなテレビの背面をばん、ばん、と叩いた。
箱の中には重い基盤がぎっしり詰まっているはずであり、どうしてその外側を叩いただけでテレビの異常が治るのか、いま思えば不思議なものである。しかし大事なのは、テレビを物理的に叩くという行為ではなく、テレビに喝を入れるという形而上学的かつ精神論的なことなのである。喝を入れられたテレビは反省したように、またしばらくは正常な映像を映すのだった。
9歳のとき、新しい家に引っ越すことになった。
子どもからしたら特に記憶に残るようなこともない2008年のことである。私は父に新しい薄いテレビをせがんだのだが、高いし工事に時間がかかるからと言って私たちはしばらくテレビのない生活を余儀なくされた。
それでも特に不便はなかった。食事中はテレビのほうを向くのではなく、確かに家族間の会話は増えたし、スマホが登場する前だったので小さなラジカセでNHKのFMを聴くのもまた楽しかった。ラジオの「基礎英語」シリーズを2周して「リトル・チャロ」を聴き、中学入学前に英文法をなんとなく学ぶこともできた。
気づくと私はテレビのない生活に慣れており、特に新しいテレビの必要性を感じることもなくなっていた。
用済みになったブラウン管のテレビは、はじめは父の寝室に死人のような布をかけられ鎮座していたのだが、気づかぬうちにいつしか処分されてしまったようだ。
2011年、小学校5年生のときに震災が起こった。街では停電と断水が起こり、小学校は1週間休校になった。
母と井戸水を汲みにいき、スーパーやガソリンスタンドの列に並んだ。その時代にはまだガラケーしかなく、インターネット接続も簡単ではなかったので、両親はメールで連絡を取り合っていた。
その頃にも私の家にはテレビがなくて、災害の情報はラジオや防災無線から得ていた。
緊急時にスマホが使えない状況なんて悲惨すぎて想像したくないけれど、その頃はほんとうにスマホがなくても、テレビがなくてもどうにかなったのである。
私は津波の映像を見たことがなかった。
地元は北関東なので周辺地域はかなりの被害を受けたが、私にとってはその惨状を理解するための映像という視覚情報が欠けており、さらに新聞やラジオのニュースもよく理解できない年齢だった。
放射能がどれだけ怖いものなのか、当時の両親の心配や不安がどれだけのものだったのか、ちゃんと知ったのは高校に上がった頃だった。
「あまちゃん」が流行っても「なにそれ」と思っていたし、私の認識ではNHKの朝ドラはずっと「だんだん」のままだった。小学校でACのコマーシャルの話をする子がいたけれど、それが一体なんなのかを知ったのはYouTubeを自分で見るようになった数年後だ。Wiiが流行った頃にはやっぱりテレビが欲しくなったけど、友達の家に行けば済むことだった。
中学校に上がる少し前には私も父のWindows XPを使うようになっていた。親の前で見るのが躊躇われる怪しいサイトほど、ページ上部から順番に、ゆっくり表示されていったものだ。パソコンがこちらを焦らしてくる。なかなかエロティシズムをわきまえているのであった。パソコンは私のせいでしょっちゅう海外のウイルスに感染し、そんなこと知るよしもない家族を困らせていた。
中学・高校時代には二次元カルチャーが最盛期を迎え、ニコニコ動画とYouTubeさえ見られれば特にテレビがなくても友達との話題に困ることはなかった。
高校に上がると韓流ブーム旋風が起きたが、その頃にはもうスマホを手にしていたのでもはやテレビの必要性を感じることはほぼなかった。大学に入学してからは実家を離れたので、実家にテレビがなかったことも、それがわりかし最近の日本では珍しいということも、しばらく忘れていた。
そろそろ結論を述べることにしよう。最近の日本ではテレビがなくてもあまり困ることがない。困ることがあるとすれば以下の3点が挙げられると思う。
その1、流行りの芸能人がわからない。こちらはYouTubeを見ていればどうにか解消できる問題である。
その2、最近のCMやテレビドラマやニュースがわからない。
周りの人の話題についていけず、ちょっとした浦島太郎気分を味わえる。
私の中ではまだイロモネアもエンタの神様も、志村園長も歌丸さんも生きている。
その3、私の話はテレビ的に「おもんない」らしい。
テレビ独特のノリやカルチャーがよくわからない。MC役の大御所芸人がおり、その隣で女子アナウンサーが相槌を打ち、ボケ役のゲストがおり、雛壇からタレントやお笑い芸人がそれに野次を入れる。
あまり親しくないメンバー同士での飲み会でこのテレビ的ガヤ構造が現れると、空気が読めず下手なことを言って笑われたくないので、端のほうで適当におつまみの軟骨唐揚げやポテトをつまむことになる。
私の家にはテレビがなかった。
9歳まで過ごした家の、そしてナショナル製ブラウン管の記憶はもう朧げになってしまった。今でも私にとってのテレビは病院の待合室やラーメン屋さんやホテルでしか見られない貴重なものである。