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おれたち「免取り」5人組
1人目の子供が生まれた頃に「もう一度」運転免許を取るため、自動車教習所に行くことになった。
結婚をする前は、業務用の清掃モップやフロア・マットのレンタル業の会社で働いていた。週ごとに決められたルートに従い、定期客のもとに貸し出されたモップやマットを新しいものに交換するのが仕事だった。
商品や資材を荷台に積みこんだ、排気量660㏄ のワンボックス車で毎日40件ほどの客を訪問するのだが、ある日その途中で、自転車に乗った女性をはねてしまった。相手のケガは、道に倒された際にできた足首の擦り傷だけで、乗っていた自転車も無事だったため、それについては幸いだったが、とうぜん人身事故として警察で扱われたため、その後、運転免許は取り消されてしまった。
ふつう、このくらいの交通事故だけで免許をとり上げられることは無い。残っていた過去の違反歴がよくなかった。仕事中におこした数々の違反により既に2度、免許停止の処分を受けており、今後はどんな軽い違反があっても「取り消し待ったなし」という状態で起こしてしまった事故だった。
事故を起こし、免許を取り消されたことが理由で会社をクビになり、新しい仕事を探さなくてはならなくなった。そんな極めて先行きの不確かな時期に、4年のあいだ一緒に暮らしてきた女性と結婚した。
彼女との入籍については、転職せざるをえなくなる前に決めていたことであったし、互いの両親への挨拶や結婚披露パーティの日取りといった段階もすでに経過していたので、不安はあったが、成り行きのまま事を進めていくことにした。
妻となる彼女のほうには、仕事のない男と結婚することに対する憂慮は感じられなかった。ヨーロッパの大学と大学院で学び、ドイツを拠点とする化学会社の日本支社に勤めている彼女は仕事の面でたいへん優秀で、収入も格段によかった。
ここで結婚を先延ばしにして無職男の経済的安定を待つことよりも、お互い30代の中盤に差し掛かり、はやく2人の子供が欲しいという気持ちのほうが強くなっていたのだと思う。
結婚後7ヶ月で妻は身籠った。そして望みどおりに、2人のあいだに女の子が誕生した。
その頃には、大手の運送会社に入り、配達員の職を得ていた。営業所でエリアごとに仕分けされた荷物をトラックに積んで、届け先まで配達するのだが、むろん運転免許を持っていないので、 担当ドライバーの横に同乗し、1台分の配達ノルマの手助けをするのが与えられた仕事であった。
移動中のトラックで助手席に座っている時に、自分がハンドルを握り、思うままに車を運転していた頃のことをよく思い出していた。
妻は車を運転できない。
家族が3人になると、日頃の買い物の量は間違いなく増える。小さな子を連れて、遠出しなければならないこともあるだろう。
そんな将来を見据え、車の免許をもう一度とることにした。
交通違反により運転免許を取り消された者は、まず「取消処分者講習」を受けなければ、再取得のために運転免許試験場に行くことは許されない。
地域の公安委員会により指定された民間の自動車教習所に行き、2日間に分け計13時間の講習を受ける。内容は、運転適性のテスト・交通安全に関する講義、さらにはシミュレータや実際の車を使った実技講習といったもので、この2日間を無事こなすと「終了証明証」がもらえ、こうしてやっと試験場に行くことができるのだ。
受講の手続きをし、自宅から1時間半ほど離れたところにある指定された自動車教習所に2日間、仕事を休んで通うことになった。
もういちど免許を取るための講習 ― そういうものに通う人間の数は全国でみても決して多くはないのであろう。この2日間を共にする受講メンバーは自分を合わせ5人だけだった。40代・30代・20代…すべて男性で、互いにどこの誰ともわからない者たちが狭い講義室に集められた。初日の始めに、かんたんな自己紹介と1時間のガイダンスがおこなわれ、あとは1日に6コマの講習を2日連続で受ける。合計13時間 ― 。
免許を取り消された者が再び車を運転する資格を得るために集まるという機会が晴れがましいものであるはずは無い。むろん今後のために親睦を深める目的もない。
1コマ、2コマ…と、講義はただ淡々と続けられた。
2日間をとおして座学をおこなう我々の講義室は常に同じで、この自動車教習所の学科教習が日常おこなわれている本棟とは別の、実車教習コースのはずれの普段あまり使われていないような別棟の1階にそれはあった。
各時限のあいだの休憩は基本10分なのだが、午前中に一度だけ15分間の大休憩があり、それに加え、昼には1時間の食事休憩が設けられていた。
10分休憩では皆、洗面所に行くか、あるいは自分の座席で携帯電話の画面を眺めるかして過ごすのだが、大休憩と食事休憩のときだけは違った。
時間に余裕があるので、5人が揃って、講義室を出てすぐの、外にある喫煙所に集まる。パイプ椅子と丸テーブルが設置されているので、前庭の花壇と、その先に見える教習コースを眺めながら、そこに座って、ゆっくりとタバコを吸う。
誰が最初に話をし始めたかは覚えていない。
喫煙所に集まった時に限り、それぞれが自分のことを少しずつ話すようになった。この5人が話すことと言えば、 その話題は自然に「どのような原因で免許を取り消されたのか」あるいは「なぜ免許をもう一度とる気になったのか」になっていく……
《バイクで検問、突破したんスよ》
黒いボサボサのセミ・ロングの髪を掻き上げながら、ひとりの男は、そう話した。
パイプ椅子の座面に尻を浅くのせて、前面に昇り龍がプリントされた和柄の黒いシャツを着た上半身を背もたれに預け、ワイド・シルエットのチノパンをはいた足を大きく開いて座っている。他人と会話をするのに、この態度は褒められたものではないが、銀のアームのフチ無しメガネのレンズの奥に見える黒目がちの丸い瞳と、言葉を発しながら口元に時折浮かべる軽い笑みが愛嬌を感じさせ、全体として不快な印象はない。歳は20代の前半といったところか…
《 16から中型乗り始めて、二十歳こえて大型免許、取ったんすよ。「 V マックス」っていう単車、わかります? 1200 のデカいやつ。それを親に買ってもらって色んなトコぶっ飛ばしてたんスけど… 夜中にスピード違反で警察に追っかけ回された時、逃げてた先の道で検問やってて……捕まりたくなかったんで、そこを100キロぐらいのスピードで突き抜けて…… でも最後は捕まって、スピード違反と道交法違反と公執(公務執行妨害)で、免許がパーになりました 》
排気量が1200cc のバイクといえば小型の乗用車並みのエンジンを積んだ、かなり大きなものだろう。「ナナハン」(750cc)なんてものの比ではない。そんなものを二十歳そこそこの若僧に買い与える親もどうかしているが、それに乗って警察と追っかけっこして検問を突き破る息子も相当に狂っている。
《親には怒られましたね。もう単車には乗るなって…。だから今度は四輪にします。でも「この講習受けとかないと、すぐにはクルマの免許とりに行けないぞ」って警察に言われたんで、ココに来たんです》
ともすると、彼の言動は粗暴な印象を与えかねないものだが、性悪な男ではなさそうだ。
このあとの会話で、彼の家はけっこうな資産家一族だということがわかった。なのでおそらく彼は、少々ヤンチャではあるが、屈託のない金持ちのボンボンといったところか。
《家の仕事継いだら、こんどはクルマ買ってもらえるんスよ。まぁ田舎ですけど、駅前の自分ちの土地のマンションとか駐車場を管理する会社で働こうかなって思ってます》
吸い終わったタバコの火を、丸テーブルの上のスチール製の灰皿の中にクシャクシャっと彼は揉み消した。
《クルマの免許とったら、そろそろ、ちゃんとしようかな……》
1日目の昼休憩でのことだったと思う。
《水谷さんは、何をやったんですか?》
パイプ椅子には座らず、立ってタバコを吸っていたこちらのほうに近寄りながら、男は話しかけてきた。
ワイン・レッドと黒のボーダー柄のラガー・シャツにジーパン姿。クルー・カットの頭髪と浅黒い肌の、健康的な印象の30代と思われる男だ。若い頃、レスリングか柔道でもやっていたのだろうか。背はそれほど高くないが筋肉質でがっしりとした上半身をしている。いや、おそらく本当のラグビー経験者なのかもしれない。
この喫煙所に集まる5人にとって「何をやったんですか?」は、即ち「なぜ免許が取り消されたのですか?」ということになる。彼の質問に簡潔に答えた。
― 免停を2回くらったあと、すぐに人身事故を起こしてしましてね……。免停のあと1年間は違反点数の累積がリセットされないので……それで取り消されました。
こちらの答えには反応せず、ラガー・マンは、
《ぼくは一発で取り消し、でした。前を走っていた車に追突したんです。 相手にケガが無かったのはよかったんですけど……、酒を飲んだあとに、運転してしまったんです…》
ラガー・シャツの左胸のところにボールの形をした楕円形のエンブレムがついていた。よく見ると「90 th Anniversary 」と書いてある。
《うちのラグビー部の、創部90周年の記念のジャージなんですよ。いまは普段着として使っちゃってます》
やはり本当のラガー・マンだった。
《 W 大でやってました。ポジションはスクラム・ハーフです。リザーブ(控え選手)でしたけど、大学選手権に出たこともあります》
講習1日目のこの日は土曜日だった。
《家を出るとき、4歳の息子に怒られましたよ。「お休みなのにどこ行くの?何で遊んでくれないの」って。まさか正直に言える訳はないので「パパは2日間、ブーブーの勉強しに行くんだよ!」って答えておきましたよ》
彼は笑いながら、そう話した。
《子供はまだ小さいし、これからのことを考えると、やっぱり、車、また運転したいですよね……》
講習2日目の午前中は模擬運転実習室に移動し、運転シミュレータを使った「運転中の危険に対する予測と回避」の講習を受けた。
そのあとの大休憩のとき、例の喫煙所で、集まった5人の内でいちばん大柄な男が口を開く。
《おれ、気持ち悪くなりましたよ》
長年にわたり実社会で本物の車を運転してきている者がシミュレータを使うと、再現されるバーチャルの映像と実際の感覚とのギャップにより、乗り物酔いの症状を引き起こすことがある。実習の始まる前に教官は確かにそう言っていた。
《そんな事あるわけねぇだろ…って、教官に「先生、大丈夫っすよ!」なんて調子こいてたら、開始5分でゲロ出そうになりましたよ》
話を聞いていた残りの4人は笑った。
彼は話を続ける。
《講習も残りあと少し、っすね。早く、また免許欲しいよ…》
橋本という名のこの男も、人身事故が原因で免許を取り消されたのだと語った。
自宅の近所の道幅のせまい商店街を車で走行中、端を歩いていた男性の腕にバック・ミラーが軽く当たってしまった。最徐行で走っていたため車に影響はなく、相手も無傷だと思われた。そこで車を停めウインドウを開け「大丈夫ですよね?」と声を掛けたとたん、急に相手は「痛ててて…」と声を上げ、その場にしゃがみ込んだ。そしてこう言われた。「警察を呼んでくれ」。
被害者にそう言われては従うしかない。
この一件は人身事故として扱われ減点を受け、過去に違反歴もあったため、免許取り消し処分となった。
橋本は話し続ける。
《まぁ「当たり屋」の手口だよね…。入ってた保険屋からすぐに連絡が来たんだけど、請求の内容が「打撲・全治2週間の治療代。それと、仕事ができないので2週間分の休業補償。 合計25万円」… 》
この話には続きがあった。
事故から1週間後に、現場の商店街からさほど離れていない隣町の飲食街で、相手の男を橋本は偶然見かけた。小さなラーメン屋の前で、店の脇の通路にゴミ袋を出しているところだった。
《この野郎…、休業補償もらったくせに、働いてるんじゃねぇか。で…。頭に来て、その店の脇に連れ込んで、ブン殴ってやりましたよ》
冷静に対処すれば、保険金の詐欺罪で相手を訴えることもできたはずなのに…。
《まぁ結局は、しばらくは普通に働けないくらいボコボコにしてやったんでね。そいつも傷害で警察には訴えない、 ってことになって。「双方、痛み分け」ってやつだよ…》
2日間の講習の最後は、教習コースを使った「安全運転実習」の時間だった。
教官を横に乗せ、5人が順番に教習車でコースを周回していく。S字カーブ・L字クランク・交差点での右左折・縦列駐車と車庫入れなどのセクションをこなし、運転技能のチェックを受ける。
全員が運転を終えたあと、みんなを集め、教官が総評を述べた。
《5人とも運転の基礎技術に関し問題はありません。ですが敢えて順位をつけるとすれば、いちばん運転がうまかったのは、金井さんです》
5人のそれぞれの事情を把握しているので、教官は笑っている。同じく笑いながら橋本が口を開く。
《なんで免許とったことがない金井さんが一番うまいんだよー》
この日の昼休み、喫煙所でみんなを前に金井さんは語っていた。
《じつは私、免許を一度も取ったことがないんですよ。でも20年、車を運転しています》
金井さんはワゴン車1台でフリーの運送業を営んでいるのだそうだ。この稼業をしていた年長の友人が病気で続けられなくなった際、ワゴン車ごとその仕事を譲ってもらったのがきっかけだった。そのとき金井さんは免許を持っていなかったが、車を運転することはできたそうだ。そしてそのまま仕事を続けてきて、20年目のある日、無免許運転で警察に捕まった。
《朝刊の折り込みチラシの配送とか、卸売市場から小売店に野菜を運ぶ仕事とか、夜中や早朝しか運転しなかったから、ずっと警察にはバレなかった…》
無免許運転で捕まった者が免許の取得を試みる際にも、この「取消処分者講習」を受ける必要があるのだそうだ。
《これまで女房の方がたくさん稼いできてたし…、これからは私がしっかりしなきゃ、って思ってます》
― 2日間の講習を終えてみると、われわれ5人のあいだに不思議な連帯感のようなものが生まれていた。
担当してくれた教官も、それを感じていたらしい。
《この2日間、お疲れさまでした。私はここで月に1度、この「取消処分者講習」を受け持ち、これまでに大勢の方を見てきていますが、あなた達ほど「まとまり」を感じるクラスはなかったと思います。これから各々、免許をとってまた運転することになるわけですが、どうか今度こそは、それを失わないようにしてください》
2日間を終え、5人はそれぞれ、また自分たちの暮らす場所へと帰っていくことになった。
一度しくじりを犯し、でもそこから少しずつでも歩き出そうとした者たち ― 金井さん、橋本、ラガー・マンの長谷川さん、バイク乗りだったA君。そして私。
あれから15年がたった今でも、車を運転していると、あの4人の顔を思い出すことがある。
(おわり)
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
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