痺るるほど清水あうらに痛き石
2024年6月21日、RNB南海放送ラジオ「夏井いつきの一句一遊」兼題『清水』第1週金曜日。この句は、作句の際の発想、連想、推敲をどのように行ったかを記録しておきたい一句となった。以下にできる限り詳しく記録する。
私は体験したことがある兼題なら、具体的に思い出を書き出すところから始める。『清水』は、愛媛県だと杖之淵公園や面河渓。
①透明できれいな水 ②冷たい湧き水 ③小川・細い流れ
などの語・フレーズの素を思いついた。さらに発展させる。
①透明できれいな水→両手で汲む・飲む・美味しい・体にしみこむ感じ
②冷たい湧き水→地元の人が汲みに来る・暑い時足をつける・子供らがどっぷりつかっている・長時間つかると体が冷える・水底に小枝や葉っぱが沈んでいる
③小川・細い流れ→山奥・静けさ・鳥の声・木陰には風
これらの連想から一句詠むならば、②冷たい湧き水→足をつけた体験 を詠んでみよう、と考えた。水がどれほど澄んでいて冷たいか、実感として伝わる語は何か?冷たい水につかる→血行が悪くなる→肌が白く見える→痺れてくる と連想。「痺れる」という動詞を選択。肌というと漠然としてしまうから、足?つま先?膝?いや、ふくらはぎ!だ。水の深さも伝わる!ということで
痺るるほど清水ふくらはぎの白さ 津島野イリス
が完成。この句は「皐月のとうおん句会」(5月18日投句締切)に投句した。
「とうおん句会」の皆様からは高評価をいただいた。水の冷たさ、きれいな水であることが伝わる、と。しかし、選評の中に「清水に足をひたしている人とそれを見ている人の二人がいるようにも読める」というご指摘があった。視点がブレるのは良くない。私が清水に足をひたし、冷たい!と感じたことを一句にしたいのだから、見ている人が別にいると思われる描写・誤読が生じる書き方では不十分だ。
前半の「痺るるほど清水」で9音、これは良いとして、後半をどう言えば?きれいな水の小川に裸足で入っているのだから、足裏には川床の感触が伝わるはず。実際、川床の感触はどうだったのか?沈んでいる小枝や葉っぱの感触より、尖った石!その感触を思い出した!川の上流で、石が角張っていて、裸足だと痛かった!これだ!
「足裏が痛かった」「石が尖っていた」を8音で言えるように調整し、「あうらに痛き石」と後半フレーズを完成させた。
痺るるほど清水あうらに痛き石 津島野イリス
最初の句は前半に触覚(温度感)、後半に視覚を合わせていたが、推敲後の句は前半・後半とも触覚。しかし、温度感と痛覚なので、私が体感したことを一句にするなら、こちらで良いはず!と信じて5月28日に投句した。
句友のご意見・ご指摘はまことにありがたい。句会で指摘されたから気づけたことを推敲に活かせた例として、上記の文章が何か参考になればいいなと思う。
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