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『Multilingual Subject』 (C.Kramsh)④

3 Language as symbolic power

この章でKramshは主に以下の3名の研究者の学説から、
言語の持つ象徴的な力について解説しています。
が、私にはまだその解説の内容がどのように「象徴的な力」の生成に
影響しているのか、現時点ではまだピンとこないので、、、(涙)
以下、個人的に響いた点を挙げる、自分の言葉での理解の記載に
とどめます。

3.1 The power of the performative (P28-29)

言語学者ジョン・オースティンの有名な学説
「言語の持つパフォーマティブな力」とは、
単に物事を正しく適切に言うだけでなく、「言葉を使って何かをする」
言語使用者の力
のことです

ここでKramshはジュディス・バトラーや、アレクセイ・ユルチャックの学説を挙げ、「彼らが言語と象徴権力の関係に関心を持ち、象徴権力の源泉を
大きな存在に求めるのではなく、言語使用者自身や支配的な制度の権力を支持したり覆したりするために言語を使って何をするかに注目している。」ことに言及しています。

★この言語使用者が何かを「する」という力がSubjectivityとも
つながっていくのかな、、、と理解しています。

3.2 The power of ritual(P30-31)

ブルデューが『言語と象徴的権力』(1991年)の記述をとりあげ、
象徴的権力の行使は儀式、つまり慣習に異議を唱えるのではなく、
支配的な価値観を強化するような言語の使用という形をとることもある

★この「儀式」の概念、つまり日常生活の中で当然のこととして繰り返し行われる言語行動(挨拶や繰り返し流されるテレビ広告など)など、学習者が
スピーチコミュニティが有している「儀式」を踏襲し、その文化や規範に
則った言語行為を行うようになっていく、ということかな?

3.3 The power of myth(P32-35)

象徴の形式と象徴の力との関連を理解するためには、フランスの記号学者で文芸批評家のバルト-が、第二次世界大戦後初めてパリで開催された大規模なアメリカの写真展「人間の家族」が開幕した直後の1957年に、「神話の現在」というタイトルで発表した小さなエッセイに立ち戻るのが有効である。

Multilingual Subject (by C. Kramsh), P32

Kramshは上掲のように述べて、ここでバルトーの「神話」の概念をとりあげています。そして、

神話は、言語が世界の物事に言及したり、それを代弁したりするだけでなく、それらを想起させたり、指標化したりすることによって意味を持つという事実を浮き彫りにしている。

Multilingual Subject (by C. Kramsh), P33

★バルトーの「神話」の概念自体についてまだ不勉強なため、
Kramshが「神話」の概念を自らの学説にどう援用しようとしているのか、
正直、わかりません、、。
★が、この節の最後に以下のようなまとめがされています。

要するに、象徴的な形式の使用は、それが伝える情報的内容と、それが感覚に与える感情的影響の両方を通じて、象徴的な力を伴うのである。発話される言葉は、教科書や辞書でその意味を知ることができるシンボルであると同時に、他の意味を表す暗号でもある。より大きな、事実または想像上の現実を指し示すパフォーマティブ、儀式、神話であり、その発話の力によってその文脈に作用するために社会的文脈に挿入される。外国語学習者にとって、言語が持つ象徴的な性質は、意味合いがコードを超えて増殖し、異なる言語体系の狭間で付加的な意味が繁茂するにつれて強化される。

Multilingual Subject (by C. Kramsh), P35

★このまとめを、自分なりの現時点の理解力で言語化してみます。
↓↓
「パフォーマティブ」「儀式」「神話」のまとめとして、
言語の持つこれらの力、作用を考慮すれば、外国語学習は
これまで規範的・支配的な言語とそのスピーチコミュニティが有している(言語的な)圧力や制度の中で、動き、行動し、新たな言語「能力」を養いながら、言語の持つ象徴的な力を操作しつつ
そのスピーチコミュニティにも影響を与えるような「主体(Subject)」
として学びを行っている、、、

ということを述べているのか、と理解しました。

今回はここまでとします!