ここから、記号としての言語が、語学学習者にとってなぜ「象徴」として関わってくるのかについての説明となります。
Introduction
2 Language as symbolic form (P25-26)
自分なりにまとめてみます
↓
記号としての言語が持つ2つの側面
1、外国語学習者が目標言語を学びながら、その言語のスピーチコミュニティのメンバーとして受け入れられる際に、メンバーとしての「象徴的な力」を得られるが、その代償としてそのコミュニティが有する言語的な制約を受けることにもなる。つまり、目標言語の持つ「正しさ」を守らなければならないということか。
2、こうした目標言語の持つ「正しさ」を「象徴的秩序」と言い換えたうえで、学習者が「正しさ」や「秩序」にとらわれない言語行動をとった場合、学習者がいるスピーチコミュニティに何らかのインパクトを与える。その言語行動がコミュニティで受け入れられていく過程において学習者自身がそのコミュニティにおいて新たな自己意識を得ていくということか??
この論文のタイトルとなっている「象徴的な」という語の説明について
さらに解説が続きます。
うーん、まだ消化不良気味ですが、現時点での理解を
自分なりにまとめてみます。
↓↓
★外国語学習者にとっての目標言語は象徴的な形式を持つ記号であるが、その使用によって、目標言語を理解し、言語使用時のみずからの態度や信念、価値観を表現し、将来への願望までも表せる媒介である。
よって、これまでの外国語学習領域において一般的に「慣習的・客観的である」とみなされてきた(外国語学習にとっての)言語は、対話において
★★慣習的・客観的な象徴形式を媒介するものでありながらも、
★★その言語の使い手にとっての個々人の主観(感情、知覚、態度等)をも
構築することができる、
この後、
・オースティンの学説にもとづいた言語学的視点
・ブルデューの学説にもとづいた社会学的視点
・バルトーの学説にもとづいた記号論的視点
のそれぞれから象徴的な力としての言語がどのように理論化されてきたのかという解説が続くのですが、本項目のまとめはいったんここまでとします。