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音楽との向き合い方


最近、音楽との向き合い方を考えている。
歌の教室のイベントに行ってから。

前回の記事で詳細は書いてるけど、私はそのときに緊張して、萎縮して歌えなかった。


でもたくさんの人の歌を聴いて、人となりを思い浮かべて、歌を聴くのは良いなと思った。

それから、私は音楽とどう向き合えばいいだろうとたくさん考えた。


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私は3歳からピアノなどを習って、それから中高では吹奏楽部に入って、大学でも音楽サークルに入っていた。

実家ではレコードやCDがいつも流れていたし、両親も私が音楽をすることをずっと応援してくれていた。


ずっと音楽がそばにいた。

でも、いつからか苦しくもあった。


それは発表会であって、人前で演奏することだった。

小さい頃から引っ込み思案で、緊張しいだし、人目を気にするし、だからたくさんの人の目と耳が私だけに向いている瞬間、頭が真っ白になって、全身の血がぎゅうっと脳みそに集まったようにふわふわした感覚になって、指の感覚が怪しくなって、楽しむなんてものではなかった。ただ間違えないように上手く聴こえるようにこなす。



吹奏楽部で、たくさんの仲間と演奏している時には楽しめた瞬間もたくさんある。
むしろ楽しい瞬間の方が多かった。

でも部活では、また違うことが苦しかった。

中学も高校も、私よりも上手な子がパートにいたので、私はいつも2番手だった。

楽譜には1stや2ndなどがあって、1stはメロディラインやソロが多く難しい場所も多い。それ以降はハモリであったり難易度が優しくなったりする。

私はほとんど2ndだった。
それまではまだ良い。得手不得手が人にはあるし、私の努力が足りなかったで済まされるから。

でも、ソロコンテストに私以外の同級生は全員出たことがあるのに私だけないという状況だった。

声をかけられるまでない。
いつも、私以外の人が声をかけられるから。
私も自分から出たいと言うほどの自信がなかった。

褒められることはないし、信頼されるのは私ではない。私って、だめなんだな。
と部活で思い続けてきたのがあった。

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でも、音楽は嫌いになれない。

私を苦しめるのが音楽であると同時に、慰めてくれるものも、癒してくれるのも、鼓舞してくれるものも音楽だったから。



それからピアノや部活を引退して、
これからは自分のためだけに音楽をやろう
と決めた。

人に聴かせるのはここまでで終わろう。

自分の心地良い距離感で、ただ自分の心のままに音楽を愛せたらそれで良い。十分だ。


そう思っていた。



でも、いま目の前で歌っている人たちの声が私の心に届いている。

こう思っているよ。こんな気持ちだよ。こんな人だよ。こう伝えたいよ。

そういうのが、三者三様に伝えてくれる。

上手い下手ではない。むしろその不完全さが個性で、私はずっとそれぞれの歌を聴いていたかった。



帰ってから私はたくさん考えて泣いた。

もっと、音楽を愛せるはずだと思った。

もっと愛せるはずなのに、どうしたらいいんだろう。

もう自分のためだけにと決めたのに。


歌で色んなことを思わせてくれることが、人前でも自分自身を表現できることが、どうしてあんなにも魅力的に映るんだろう。


その場の空気に合わせて、自分を騙して、ぱっと歌ってしまう手もあっただろうけど、そんなに自分と音楽に対して不誠実にもなれない。

とっても不器用だなと思う。


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私の声も、誰かにとっては何かを思ってくれる声なのだろうか。

私が私のままで伝えられたら、ちゃんと私を見てくれるだろうか。

私のやわらかい心を、そのままで良いと、それがあなただから、そのまま見せてと、言ってくれる人がたぶん、どこかにいるのかもしれない。


そういう人がもしいてくれるならその人のために歌いたいと思った。

そんな人と出会えるころに、私はたぶんもっと音楽を愛せている。



音楽との向き合い方をまた変えていく時期、段階に来たと思う。

だからもう一度、人に聴かせることに向き合うと決めた。

次の歌の教室のイベントでは、歌おうと思う。


どこにいても、誰の前でも、心のままに。

心のままに。



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