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人生を歌う



歌教室のイベントを終えた。
人前で歌った。


終わってしまえばあっという間だっだなと思う。


ここ数ヶ月、泣きたくなった日も、苦しかった日も、嬉しかった日も、楽しかった日も、沢山あった。

その間も、音楽はずっと私のそばにいて、そうやって音楽を感じ続けて、手を繋いで、抱きしめて、真正面から睨んで、ベッドで一緒に寝た。


顔を背けた日はなかった。
考える暇のない日はあったけれど。


今イベントを終えて、大通公園の噴水の前に1人で座って、これを書いている。

落ち着いてから書いてもいいけど、なんだか今は帰りたくないし、悲しい気持ちだ。


失敗したわけじゃないし、楽しかったし、思ったより緊張はしなかったし、大成功だった思う。


この感情は心が強く揺すぶられて、どうしたらいいか分からないからだ。感情が高ぶるとどしてか泣いてしまうように。


舞台に立つとライトが私にあたるから客席が見えなかった。ペンライトがいくつか横に揺れていて、かろうじてシルエットが見える。本当はよく見たら見えたのだろうけど、そこまで余裕はなかったからなんとういうか、歌詞と空虚を交互に眺めながら歌った。

マイクを通して歌うと、自分の声があまり聞こえなくて、音程が合ってるのかなと不安になりつつ、普段からちゃんと自分の声を聴きながら歌っているんだな〜という発見があった。


発音を丁寧に、ロングトーンを丁寧に、そう思いながら、できるだけ私のままで、私の思うままで、どうか、私の心がそのまま声になっていますようにと思いながら歌う。

歌詞があなたを思っていることも、私を思っていることも、伝わりますようにと。


以前、心の思うままに歌うにはどうしたらいい?の記事で、私は「小さな波をいくつも重ねるように」という気持ちで歌うことを思った。

一曲は大きなひとつの曲ではあるけれど、ひとフレーズがすべて波だった。
息を吸って言葉を言うたびに、新たな波を聴いてくれる人に送る。

それは、やさしくやわらかく、臆病ではあっただろうけど、届いていればなと思う。



大通公園の噴水は21時前に運転を終わるらしい。

水音のしなくなった円形の噴水の周りに座る人もだんだん少なくなってきた。

穏やかな水面には街頭の白やオレンジの光や、ビルの灯りが映し出されてゆらゆらしている。

寒さもまだ厳しくない9月末の夜が、多分私の人生に刻まれる。



今日は、音楽との接し方変えてまた一歩踏み出した日。


音楽を愛せた日。


噴水の水面が涙に滲んでもっと揺れてきた。

悲しいのではない。嬉しいのだ。

嬉しくて、愛おしい。


また、明日から歌う日々を思って。





2024-9-29

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