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5分小説:「幕間」

「幕間」

冬の終わり。

夜十時半を過ぎた頃、男と青年が風の中、東京行きの高速バスを待っていた。冷たいベンチの上に腰掛けて彼らと同じように待っている人は周りにも幾数十人いるのだが、皆どこかしら他人と距離を取っている。
「おっそいな、まだ来ないんかー。」
青年はロングTシャツの裾を擦りながら言った。隣では20代半ば位の男が
「早く来たってどうしようもないだろ、朝東京に着くのがちょっと早くなるだけだし。」
と目の前の大通りを見つめている。昼はにぎやかなくせに、この道は夜になると静まり返るのだ。黒い車が通り過ぎた。その影に遮られてナトリウムランプがびかびか光る。男はもうそれを見飽きたのか一回手に息を吐くと顔を覆い上半身を前に倒した。指の隙間からオレンジの光が漏れた気がした。

そんな男に青年は目もくれない。
「こーんなに荷物持ってどうすんの。ちょっとの旅行だろ?」
男はパンパンの黒のボストンバッグと黒のスーツケース、これまた黒のリュックサックで自分自身を取り囲むように座っていた。
「またなんか失くすパターンでしょ。」
「違ぇわ」
男が喋る度に頭とコートのファーが動く。
「いや 違くないけど、物がいっぱいあって困ることはないだろ?」
「えー。なんかそんなこと前も言ってたな……思い出した、中学の修学旅行ん時だ。その時もそう言ってなんか失くしてただろ。最終日お前テンション低かったよなー」
ウォークマンのことだ。
「……ホテル出る前にみんなで探したっけ、ウォークマン。」
男はゆっくりと体を起こし手を袖にひっこめた。

バスはまだ来ない。

男はぼーっとした頭で考えた。修学旅行、そう修学旅行だ。京都に行ったのはあれが最初だったっけ。
その時青年が口を開いた。
「お前整理整頓できねぇからすぐ物失くすし」「いやあれはみんな散らかして部屋が汚かったからだろって」
男が振り返った。
「ウォークマンの件じゃなくてさ、普段普段。普段の話よ。やっぱさ、こういう時 あー、アレの日?」
「ハレの日」
「そうそれ。…も普段が出るじゃん?」
青年がへらへら笑う。
「やっぱ俺みたいに普段からちゃんとしてる奴はトラブル起こさないんだよな」
「ホテル着くなり興奮して中身一回全部出して、戻すときスーツケース壊したの誰だよ…」
「あ~二日間のやつ?んでもその壊れた隙間があったからこそすぐにチケット取り出せたじゃん、あれすぐに出せなかったらバス乗り遅れてたと思うな」
こいつはああ言えばこう言う奴だ。男は静かに微笑んだ。

名古屋行きの別のバスが到着した。前ではこれまで沈黙を貫いてきた乗客達が重たい荷物を引きずりながら、よろよろと列を作り始めている。バスはまだ来ない。来なくていいのに。

ここで生まれた二人の少しの沈黙を鋭く破ったのは青年だった。
「今年ももうそろそろ夏休みが始まっちゃうな。夏休みが終わったら俺らもう受験生だぜ。」
青年が何気なく言う。
男は面食らった。下を見て、青年を見て、青年と地面の間を見つめながらただつぶやくしかなかった。
「……ああ…」
「そういえばお前親との進路の話ってどうなったの?東京に行くとか……ここに残るとか」
男は一瞬止まりかけた頭を叩き起こした。
「ズゲズゲ聞くなあ」
一息ついて、男がしょうがないなあという顔をした。青年がちょっと笑った。
バスのアナウンスがかかった。どうやらちょっと送れているらしい。
「俺はやっぱり就職は東京に行くよ、やりたいことが見つかったんだ」
男がリュックの縁を叩いた。
「へーーすご。俺も東京に行ってみたいけど一人暮らしするのもめんどいし家から通える範囲にするかな」
嫌な予感がした。
「今度オープンキャンパスがあるみたいだからそれに一緒に行ってみ「行くなよ!!!」
男が声を荒げた。

男は目を見開いてお前は何てことを言うんだと
驚いた、こいつは一体何てことを言うんだ。そのあとになってやっと男は自分の口から急に出た言葉に気づいた。取り返しのつかないことを言ってしまった。取り返しのつかないことを言ってしまった。男は激しく動揺した。伸ばしていた足を器用に折り畳んでベンチの下にしまい込んでみた。取り返しのつかないことを言ってしまった。青年が、ふと気を緩めたように穏やかな顔になった。車の交通量が少し増えた気がする。
男は顔面蒼白になった。車。車といえば正しくそれじゃないか。
「ごめん、ごめん」
男はもてる限りの言葉で青年に謝った。もう謝っても謝ってもどうしようもないのに謝った。全ては過去でずっと止まったままなのだ。男の中で止まったままなのだ。男はせっかくの青年と話せるチャンスを台無しにしてしまったのだ。楽しかった思い出を過去の一点で覆い汚してしまったのだ。青年の顔がだんだんと見えなくなってきた、やめてくれ、男は青年にすがり付こうとまでした。その時、
ふと、

排ガスの臭いがする。男は正気になった。

バスが来た。東京行きのバスが来た。ヘッドライトの光はどの街灯よりも明るくて目が痛い。
やおら立ち上がって突っ立っていると目が慣れて楽になった気がする。だが、強い光に慣れても光が当たっていない所を少しでも見ると、まだヘッドライトの光が痛い。
男は細く長く白い息を吐いた。全ては5年前に終わってしまったのだ。男にはそれがもう痛いほど分かっていて、痛いほど理解したくないことだった。
息を全て吐ききると、本当にやっと生まれ変われた気がした。からだの力が抜けた。点呼が始まる。もうそろそろ列に並ばなくちゃいけない。

男は決めた。

その一部始終を全てなんともないように座って見ていた青年は、立ち上がった男を見上げた。
「連れてってよ」

男は決めた。
そそくさと身支度を整えるとあっという間にバスに乗ってしまった。後ろは一度も振り返らなかった。バスの中は昼のようで思ったよりも明るく快適であった。しかしながら男の目にはヘッドライトも街の明かりも光っているものは何も映らなかった。もしも奥の方で小さく、慎ましやかに光っているものがあるとするなら、それはこれからの展望とこれまでの暖かい思い出だった。男は目を閉じようとしたが閉じれなかった。


青年は男の頭の中でしか生きられないのだ。
一緒にオープンキャンパスに行った帰り、目の前で車に轢かれて宙を舞ってから、青年は度々男と会話するようになった。しかしいつまでもその会話は永遠に進展することばできなかった。



まだ出発まで多少時間があるらしい。ふと、耐えきれず、男は遮光カーテンの隙間から覗いてしまった。

バスの窓から見ると
ベンチにはもう誰もいなかった。







おわり


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