『鬼も内?』鬼とは何か?現代版ダイバーシティ
高校の数少ない文化系の授業のとき、先生が問いました。
「鬼は外、福は内ではなく、『鬼も内』と言って豆まきをする地域もあります。何でだろうね!?」
昨日は節分でした。
毎年恒例、我が家でも豆まきという名の、豆合戦(笑)
これまで鬼役は当然にしてぼくでしたが、今年は、ぼくの伸長を追い越した長男がかって出てくれました(笑)
弟・妹はこれでもかという剛速球で豆を投げつけてましたね(笑)
終了後、長男談「お父さん・・・毎年大変やったね」(笑)
さて、我が家の余談はこれぐらいにして、
節分のときに、外に追い出される鬼。
日本昔話でも多くの話に出てくる鬼。
地域によって鬼の設定は様々ですが、海外ではまた違いますよね。
冒頭のとおり、高校の先生が問いました。
鬼は日本の文化でどういう風に生まれ、どういう位置づけで継承されているのか?
鬼は妖怪でもお化けでもなく、”人”の形態ですよね。(鬼滅の刃もそうですね(笑))
もちろん、他説あると思いますが、ぼくが習った鬼について、考えていきたいと思います。
冒頭のイラストは、ゆうママさんが描かれた可愛い作品を使わせていただきます。ありがとうございます!
①日本固有のムラ社会
『ムラ社会』という言葉は近年話題になっていますね。
近年の話題はちょっと置いといて、そもそもの日本各地にあった村の形態を考えてみたいと思います。
日本は農耕民族で、稲作などを中心に、土地に根を張り、その土地の恩恵とともに生活してきました。
海のまちでも同様かと思います。
なので、土地・エリアがまず生活の基盤にあって、村人のコミュニティが生まれていくということですね。
日本人の苗字の8割ぐらいが自然由来というのも納得がいきます。
地形や地理的特徴を地名にして表現し、あの辺に住んでいる「〇〇さん達」っていうように呼ばれていったということですね。
こうした土地に根付いたコミュニティがあって、ムラ社会が形成されていったものと思います。
②ムラの中と外
では、このムラの中と外の関係はどうだったでしょうか?
ムラの中では、結束力を高めていく必要があります。
協力して田畑を耕し、子どもを育て、時に災害に立ち向かい・・・
祭りなどのハレを設定し、結束力・求心力を高めていったものと思います。
ムラの中においては、一致団結するパワーが必要だったと考えられます。
では、ムラの外との関連はどうでしょうか?
異質なコミュニティの集団として捉えることとなります。
交流などする理由もなければ、関わるきっかけもなかったかもしれませんね。
飢饉などで食糧不足になれば、隣りの村を襲撃するなんてこともあったのかもしれません。
ムラの中と外とでは、見方が全然違ったのかなと推測します。
③『鬼』と見立てた
そこで、自分たちのムラ以外の人間を『鬼』に見立てたということです。
鬼の捉え方が現在とは異なると思いますが、
異質なグループの人間を鬼として、自分たちとは違うものと設定したのですね。
現在でいう「知らない人とは話しちゃダメ」にも近いかもしれませんね。
自分たちとは違うものを鬼に見立てた結果どうなるかというと、
一層、自分たちの結束が強くなります。
ライバルチームがあることで、自分たちの結束力が強くなることと一緒ですね。
スポーツもそういう力がありますね。
ノンプロチームをもっている会社などは社員総出で応援し、結束力は強いものと感じます。
オリンピックでも自分の国を応援し、国内の団結感が増しました。
甲子園でもよく思います。母校でもないのに、自県代表を応援しますよね。
都市対抗野球や、都市対抗駅伝なども感動します。
外に敵をつくることで中の結束を強める。
鬼の設定にはそんな意図も込められていたのではないかと思います。
数人で陰口をたたいて結束力を増すのも同じですかね(笑)
④『鬼も内』とは?
ということで、外に敵を作り、鬼は外~!と追い払うことで一層自分たちの結束を強めることとなります。
では、先生の問うた
『鬼も内と言っている地域がある?』
そうです。
これは、ムラの外部との交流で様々な恩恵を受けることです。
海のムラは山の恵みを受け、
山のムラは海の恵みを受けることもあったでしょう。
また、材料や装飾品の貿易のようなものもあったのかもしれませんね。
内側の同質なコミュニティを大切にしつつも、外からくる異質な恩恵を大切に受け取るということが、『鬼も内』というこの言葉に込められているのではないでしょうか。
⑤現代版ダイバーシティ
速く移動でき、情報は光の速さで飛ぶ現代です。
昔のムラ社会と違って、海外でも情報は入ってくる時代です。
知らない人どうしでもネット上では存分に交流ができます。
『鬼は外』と自分たちとは別物を異質に取り扱ったコミュニティの結束は、現代では必要なのでしょうか?
『鬼も内』と異質なものを受入れ、相互に成長していくという多様性の時代、ダイバーシティの時代になっていっているように思います。
コロナ禍で見た人の心に棲む鬼。
海外の紛争で見る、繋がっていない理解し合えないからこその鬼の設定。
まだまだ現代においても、様々なところに鬼は潜んでいて、やっぱり人のカタチをしているように思います。
東京五輪では、スケボーの大活躍があり、十代の若い選手が日の丸を背負い躍動しました。
でも、スケボーは、国の対抗意識は無いそうです。
尊敬する選手の国籍を知らないということも話題になりました。
他国の選手が失敗したら、みんなで、もう一回!と励まし、成功したら喝采がおきるそうです。
他人が失敗したら自分が勝つという概念はなく、みんなが成功すること、より上手くなっていくこと、を目指しているそうです。
節分の豆まきの度に、高校のときに習った先生の問いかけを思い出します。
継承してきた文化としての『鬼』
加速度的に変化していくこの時代において、捉え方をアレンジしていっても良いのかもしれませんね。
今日もご覧いただきありがとうございました。
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