『一票の格差』について
いよいよ昨日から、北九州市長選挙の期日前投票が始まりました。
初日である昨日、ぼくはとある期日前投票所の管理者として従事しておりました。
休憩時間に、ぼくも、市民としての1票を投じさせていただきました。
コロナ禍を経て、期日前投票の考え方も随分と変わりました。
基本は、投票日に、地域ごとの指定の投票所に行くのですが、
よほどの用事がある人のためにと、期日前投票が始まりました。
しかし、密を避けるというのもありまして、期日前投票も推奨することとなりました。
なので、早めに投票に行っていただいて大丈夫です。
2週間のうち、時間のあるときに投票に行きましょう。
昨日、終日、投票所にいて、色んなことが頭をよぎりました。
記事にすると3つ書きたいことがありました。
①色んな人がいるなぁ、人間観察。
②『市民参画』とはどういうことか。
③一票の格差。
今日は、3番目の一票の格差について書いてみたいと思います。
国政選挙において、有権者の数と、当選者の数が、全国的にアンバランスになっていて、憲法に定める国民の参政権に、その1票の重みが随分と違うんじゃないか、というのが課題になりました。
違憲状態とされ、その調整がなされています。
これが、いわゆる『一票の格差』問題です。
で、
ぼくが、ここで書きたいのは、そういうことではありません。
ぼくの思った「一票の格差」問題は、
投じる『人の心』での格差です。
例えば、
立候補者本人や、
その家族や、
熱烈な支援者などの
投じる1票も、1票です。
一方で、
何となく、
よう分からんけど、
と投じる1票も、同じ1票です。
はたまた、
どうでも良い、
興味ない、
誰でも良い、
と、投じない1票も、同じ1票です。
ぼくは、この人それぞれが持っている1票の重みや思い入れに『格差』があると感じました。
格差という言葉的には、ふさわしくない表現だと思いますが、
思い入れの違いの差ということです。
SNS社会で、つぶやきも含めた、誰でも意見が言える世の中にあって、市民の声を間接的に伝えていく選挙。
単純な多数決で決着する選挙が、果たして民主的に民意を反映できているか、はなはだ疑問ですが、
大切な人権です。
そうしたルールです。
それぞれに与えられた1票は重い。
では、この1票の格差をどうすれば良いのか。
興味ない、投じない、というのもひとつの意思表示かもしれませんね。
投票に行くのが、美や、善でもないのかもしれません。
絶対あの人に投票してほしい。
あの人には絶対当選してほしくない。
そんな重い1票を持つ人が、
声を広げて、無関心・不関心・未関心の人たちの1票を、
例えば、気持ち的には0.3票から0.8票に引き上げていくことが大切なのかもしれませんね。
この話題に続いて、『市民参画』とは何なのか。
もう少し考えて、後日アウトプットしてみたいと思います。
北九州市長選挙です。
今回の投票率はどうなるでしょうね。
あなたの1票は重いですか?
もし、1票ほどの重みが無いっていう気持ちの状態だったら、周りの人と話してみたら良いと思います。
色んな話を聴いてみたら良いと思います。
身近にいる重たい1票の人から影響を受ける、というのも大切な1票に繋がるのかもしれませんね。
少し興味を持てたり、投じたい候補者に差がついたりするかもしれませんね。
※ぼく個人やこの記事は、どの候補者を推薦するとかしないとかは、全くありませんのでご了承ください。
※投票率について、もし、選挙戦略にされてる候補者がいたとしても、それについても、とやかく言っているわけではありませんのでご了承ください。
過去にも、選挙の話題については、色々と書いてきましたので貼っておきます。
今日もご覧いただきありがとうございます。
<1年前の”今日”の記事★>
おぉ!!
これはこれは、アウトプットできて良かった話ですね。
『こなすチカラ』!!
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