人に頼ってみるのも気持ちの良いものだ〜エレベーターのボタンから〜
先日、地域でのまちづくり講座において
「できる人ができることを」
「苦手なことは得意な人を頼りましょう」
みたいなことを言っているぼくです。
いつも、大切にしている『協働』という、経験と実感から、そのような話をしています。
多くの人の得意分野や主体性を発揮していただくことで、
とんでもない成果・効果が出ることを、何度も体感してきました。
例えば、世代の違う人材であったり、
携わっているジャンルやフィールドの違い。
それぞれの興味関心が向くものの違い、などなど。
多彩な人から、少しずつでも、チカラを出していただき、ともに主体的に関わり合っていくというのが『協働』の大切な考え方です。
『協働のつくりかた』に大切なのは、
単に、依頼する。任せる。というだけでは、主従の関係になりがちで、一緒に課題を見つめたうえで、共に歩み始めることが重要。という話をいつもしています。
とは言え!
こんなに、いつも偉そうに話したり、書いたりしているぼくですが、実はぼく自身がとっても、人に頼るのが苦手なんです。
何でも自分でどうにかしようとしてしまいます。
結果的に、まわりのチカラを活かしきれなかったりするものです。
『助けて』って言えるのも、実はとても大切な能力なんだろうと思います。
そんな人には、いつも、そういえば、まわりに多くの人たちが居たりします。
『人に頼る』というのは、そういうことなんだろうと思います。
また、そうやって助けられるのが上手な人は、往々にして、人を助けるのも上手。
「あの人には借りがある」「恩がある」「あの人のためなら」
っていう感性もありますよね。
また、自分が助けられたり、支えられたりした喜びや感謝を、また次の誰かへと向けたくなるものです。
持ちつ持たれつ。
支え合いながら、生きていきたいですよね。
と、
分かっていても、
なかなか、人に頼ることができない、この性格です。
随分前のことになりますが、
こんなエピソードがありました。
所用があり、病院の『エレベーター』に乗ったときのことです。
ぼくは荷物で両手がふさがっています。
それでも人に頼り切れないぼく。
エレベーターのボタンを押そうとします。
ボタンの前に居た人が、
「何階ですか?」とすぐに聞いてくれて、
「あ、〇階お願いします」とお願いすると、
とってもスムーズに乗ることができました。
気持ち良く対応いただいたこともあってか、何だか凄く清々しい気持ち。
たったこれだけのことでも、人に頼ったことが今まであっただろうか。
次に乗ってきた、何だか温和そうなおばあちゃん。
乗るやいなや、ボタンの前の人に、「〇階をお願いします」とおっしゃられます。
たったこれだけのやりとりですが、
何だか、ほがらかで。
何だか、助け合いや支え合いの小さな世界がここにあるような、嬉しい気持ちになりました。
そう考えてみると、ぼくはたいてい、エレベーターではボタンの前に居て、小さなお子さんを連れた家族や、お年寄りなどが居る場合には特に、ドアの開閉や、行き先の階数を押してあげようとするものです。
自分では、そう「してあげたい」という気持ちを持っているんだろうと思います。
次の場面は帰るとき。
『エレベーター』に乗っている人は多いです。
ぼくは奥の方に追いやられて、乗り降りする人の様子を見ていました。
心身ともにツライのか、すごくしかめっ面な、おばあさんが覚束ない足取りで乗り込んできます。片手に杖、もう片手に荷物を持っています。
ボタンの前にも人がいましたが、何も言わず、押しのけるように、自分の行きたい階のボタンを押そうとします。
狭い室内で、よける人たちも大変そう。何なら持っていた荷物も他の人に当たりそうですし、よろけて転ぶんじゃないかと心配にもなります。そんな感じだから、時間もかかっています。
人の振り見て、我が振り直せ。
きっとぼくも、このおばあさんと同じような感じなのでしょう。
先ほどの温和そうなおばあちゃんのように、少しずつでも人に頼ることができれば、もっと周りの人間関係も変わっていったんじゃなかろうか。
人生の彩りや、自分自身の生活も変わっていくんではなかろうか。
なんだかそんなことも思いました。
人に頼ると、その場もスムーズにいくし、助けようとしてくれる人はいます。
そして、頼る側も何だか気持ちの良いことを知りました。
たったボタンひとつのエピソードですが、
こうしたところから始まるんじゃないかなと思いました。
貴重な時間のなか、この記事をご覧くださってありがとうございます。
冒頭のイラストは、ちゃりれれ【時々ジャイアン】|noteさんの作品を使用させていただいています。ありがとうございます。