幸運なこと、不運なこと、いろいろ起きますよね。
その度、これは何のお告げなんだろうと立ち止まり考えます。
ぼくは、スピリチュアルなものは分かりませんし、あまり頼ってはいませんが、何だかそう考えてしまいます。
悪いことが起きても、よくよく向き合ってみると、不幸中の幸いっていうこともあります。
突然の、なぜ!?っていうような悪いこともあります。
これは何なんだろう・・・。
子どもの頃、よく
『バチガアタル』って耳にしていました。
そう言えば最近はあんまり聞きませんね、自分も言わないですね・・。
『罰があたる』
自分のした悪い行いが、巡り巡って、悪い出来事として還ってくるということですね。
なので、悪いこと、イヤなこと、不運なことがあったときには、何の罰があたったのかなとか考えます。
過去のふるまいが巡り巡ってくることもありますし、
未来を予言しているようなときもあると思います。
後から考えて、あれが繋がってたなとか、あのおかげで、その後に気を付けることができたとか。
ぼくの実家は自動車の修理工場です。
子どもの頃、事故なんかで入庫してきた車を見て、
親父が言っていました。
悪い行いをするとこんな不運があるんだ。って。
「じゃあ、この人は悪いことしたん?」って尋ねると、
いや、この人はそんな悪い人やない、この人の親とかご先祖さまとか、そんな人の悪い行いがこうして伝わってくることもあるんやないかなぁ。って。
何だかこの言葉がずっとぼくの胸に響いています。
合わせて、
「だから、お前たちに悪いことが起こらないように、過ごさんとなぁ、、」って、オイルまみれ真っ黒な手で作業を続ける親父がポツリと言った言葉も残っています。
ポジティブ側で言えば、良い行いをして、良いことが起きることを願うなんて思っていません。
でも、ネガティブ側で、悪いことが起きないように、悪いことをしないよう気を付けるなんて、普段から考えるようなことはありません。
ただ、目の前のことを、誠実に、着実に、過ごしていくのみかなと。
その積み重ねが、巡り合わせをつくっていくのだろうと思います。
こんなことを考えるぼくの根っこには、高校野球があったと思います。
毎日毎日、練習に励み、
最後の夏、その努力が結果に出ると信じていました。
弱い当たりでも野手の間を抜ける、打ち上がってしまったフライもポテンヒットになる。
そんなものだと教えられましたし、信じてきました。
甲子園優勝のたった1チーム以外は、どこかで涙を流します。
その結果と向き合うのは、積み重ねてきた事実だと思います。
もしエラーしたり、失敗したりしても、努力してきたやんって、そう思える・思われる事実があるかどうか。
そんな巡り合わせと、それを築き上げていく見えない何かがあるような気がしています。
最近、顔を上げれないほどの不運がありました。
まわりの皆さんにも影響し、申し訳ないほどです。
でも、逆に皆さんが声をかけて励ましてくださいました。
とてもありがたかったし、少し救われました
積み重ねてきたこと、
こうして起きてしまったこと、
それもこれも巡り合わせなのかなぁ。
過去に、いまに、未来に、何を教え、何を伝えてくれているんだろう。
噛みしめて、この不運とも向き合いたいと思っています。
冒頭の、鮮やかな木漏れ日に出会ったような写真は、Hikari|noteさんの作品を使用させていただいています。『巡り合わせ』で検索しました。ありがとうございます。
抽象的な話題ばかりになってしまいましたね。
今日もご覧いただきありがとうございます。
似たような記事をいくつか貼っておきますね。
どれも書いたぼく自身が好きな記事ばかりです。
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