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マイクロズームニッコールの空気感

カメラとレンズは軽いものにしたい。散歩の時は特にそう思う。しかし、慣れ親しんだデジタル一眼と重い大口径レンズを手離す気にはなれない。例えばAuto Nikkor 85mm F1.8(420g)を使おうとすると、Nikon Dfの765gを加え1kg以上を肩にかけることになる。軽快ではないが必要な重さである。

ズームレンズはあまり使ったことがない。オールドレンズに興味があるのでAI Zoom-NIKKOR 43~86mm f3.5を借りて使ったことはある。43~86mmという焦点距離からヨンサンパーロクの愛称で呼ばれている。Nikon F用に開発された直進式ズームレンズでマニュアルフォーカスである。このヨンサンパーロクにはオールドレンズゆえの歪曲収差という欠点がある。具体的には、43mm側でタル型収差、86mm側で糸巻き型収差が発生する。要するに真っ直ぐなものが曲がって写るのである。また、色収差により解像力不足もあるようだ。

私は猫の写真を撮ることが多い。フレンドリーな猫は問題ないが、警戒心の強い猫は距離をつめることが難しく単焦点レンズだけでは十分でない。これまでAFズームレンズがあればいいのにという場面が何度もあった。

そこで、1997年に登場したAI AF Zoom Micro Nikkor ED 70-180mm F4.5-F5.6Dを使ってみることにした。選んだ理由は、Zoom Microとあるようにマクロ撮影もできるズームレンズであること、ヨンサンパーロクのような歪曲収差がほとんどなく、EDレンズやニコン・スーパーインテグレーテッド・コーティングにより色収差が抑えられていることである。ただ覚悟しなければならないことは、サイズ的には細身だが重さが1010gあること、手ブレ補正機構がないことである。D610(850g)で使うので2kg近い重さになる。レンズ遊びも楽ではない。

さっそくD610に装着して試写してみると変なものが写り込んでいる(赤丸内)。ハズレのレンズかと思いながらレンズの中をチェックしてみると問題はないようだ。経年によりチリなどは混入しているがカビやクモリはない。レンズをDfに付け替えて試写すると映り込みはなかったので、D610に原因がありそうだ。念のためレンズの前玉・後玉にブロアーをかけてゴミをとばしたり、D610のセンサーにも慎重にブロアーをかけた。その結果写り込みはなくなりその後問題は発生していない。スポットフレアのイタズラかもしれない。原因がD610のセンサーなのかレンズに問題があるのかわからない。

とりあえず撮影できる状態になったので、2kgなんて大したことはないと自分に言い聞かせ散歩に出かけた。数日にわたって撮ったものをLightroomで現像してみると今までとはちょっと違うという感覚があった。何だろうなと思いながら写真にコメントをつけているうちに写真の空気感が頭に浮かんだ。これまで空気感なんてあまり考えたことはなかったので自分の見方が変わったのかもしれない。

いつも見ている仁王さんをズームアップすると新たな発見がある。光のあたりかたによって、顔の表面でいろんな色が反射しているのがわかる。紫外線や温度変化によるひび割れや汚れが仁王さんの存在感を引き出している。

哲学者のような雰囲気があり心を見透かされているようだ。好きなように撮ってくださいというおおらかさがあり、おだやかな表情とやわらかい毛並みが印象に残っている。こういう猫に出会う機会は少ない。

陽と陰の雰囲気を撮りたかっただけです。なぜそう思ったかというと、自分が生まれ育った場所を思い出したからかもしれません。

桜のやわらかさが写っていればよいのですが…。


描写の安定感、この言葉が真っ先に頭に浮かんだ。見慣れた日常の風景が何の違和感もなく再現されるという安心感がある。このレンズにはやすらぎのようなものを感じさせる力がある。

これらの5枚を見ながらコメントを次のようにしてみた。
①仁王さんの顔の表面の独特なニュアンスがその存在感につながっている。
②猫の表情がある種の雰囲気あるいは佇まいを醸し出している。
③光と影の風景がノスタルジックな記憶を呼び起こしている。
④散る桜の儚さが「桜のやわらかさが写っていれば…」という心情に結びついている。
⑤描写の安定感がもたらすやすらぎがある。

こうすると空気感の正体がみえてくるような気がする。すなわち、写真の空気感とは存在感、雰囲気、佇まい、ノスタルジックな記憶、心情、やすらぎ、などと言い換えることができる。ただし、この言い換えは私についてあてはまることであり、言葉での説明に過ぎない。

空気感は言葉で説明できるほど単純なものではないだろうと思う。空気感は、見る者の内面でわき起こる様々な認識や感覚から生まれるものだから、言葉を超えた領域に、言葉で語れないものとして存在するかもしれない。仮にそう考えると、見えない空気感が見える人もいれば、そうでない人もいる。ということになると、写真という狭い枠にとどまらず、もっと広い世界観から写真に接するといつのまにか空気感が見えていたということになるかもしれない。写真を楽しむうえで空気感は大事な要素だが、それを追いかける必要は全くない。空気感の中に自分の見えない影が映り込んでいることに気がつけばなおさらそうである。

あれこれ考えているうちに、チョートクさん(田中長徳氏)が「レンズの空気感」について書いていたことを思い出した。著書には次のように書かれている。なるほど「懐かしさ」という点では③と重なるところがある。

レンズの性能表に出ていない、しかも数値にならない描写の要素であって、その「懐かしさと空間の奥行きを感じさせる」のが「レンズの空気感」であると、ここでは仮にいっておきましょう。

カメラに訊け!(ちくま新書)

チョートクさんは「レンズの空気感」の一例として、「これもレンズの空気感を引き立たてる要素の一つである」というくらいの意味でとらえてほしいという但し書きをつけて、ウェストンのプリントを観察したときの感想を述べている。

面白く思ったのは、画面の周辺部ではあまりピントがよくないのです。それで両面周辺部で彷徨っていたあたしの視線が画面中央部に戻ってくると、また画面が非常にシャープに感じられる。その視線のさまよう効果で、ウェストンの作品は実際のシャープさよりもさらなるシャープさの効果を上げているのです。(中略)これは「レンズの空気感の一形態」と呼んでよいでしょう。

カメラに訊け!(ちくま新書)

これは、ウェストンのプリントに見られるシャープなピントがレンズ性能の視点からではなく、チョートクさんの視線の彷徨を通して述べられている。クラッシックレンズが演出するシャープな描写が空気感の一因になっているところは、⑤の「描写の安定感」と関係があるように思う。後の調査によると、このプリントに使われたレンズはたった10ドルの中古レンズであったらしい。現代の高価なレンズは素晴らしい写りをするが、はたしてそれが空気感のある写真につながるかどうかはわからない。安価なレンズでもその特徴を理解してうまく使うと予期しない効果が出る可能性がある。

まだ使い始めたばかりだが、AI AF Zoom Micro Nikkor ED 70-180mm F4.5-F5.6Dの描写力が、写真とレンズの空気感を考えるきっかけを私に与えてくれたことは確かである。そのことはレンズの重量よりはるかに重い意味があったように思う。

【参考1】
写真の空気感に関しては、あらかじめ計算され、意図された空気感も存在する。上手な写真家は写真テクニックによって空気感をつくりだす。被写体と背景のバランス、光のコントロール、色合いの調整、ボケの表現等の撮影技術から生まれる空気感である。

【参考2】
このレンズの詳細はニコンの公式サイトをご覧ください。

【参考3】
デジタル一眼Nikon D610については以下を参照していただければ幸いです。


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