東京マラソンへの道
「足の大きい子は長距離は遅い」
小学1年生で市内のちびっこマラソンで16位になる。育った家が小高い丘のてっぺんにあり、その丘は、玄関の向かいは森の入り口、野山を走り回って遊ぶ毎日で心臓が強くなったのではと思う。叔父に、その快挙を伝えると意外な言葉が帰ってきた。(僕の中では親戚一同運動神経が良い人が見当たらない中での快挙と思っていた)
「足の大きい子は長距離は遅い」
叔父が言うには、曽祖父が力士にスカウトされるほど、骨格が大きい家系。祖父の代から獣医の傍ら、牛を飼っていて戦時中でも乳製品を食べていたから骨は太く、昭和一桁生まれの叔父たちの足は28cmだった。足が大きいということは、一歩一歩の重量の負担が他の人よりも大きいから長距離は疲れるという持論だった。
「足が大きくても速く走ってやる」
その時は、せっかくの快挙に褒められると思っていたから、とても残念な気持ちになったが、その言葉は、「足が大きくても一等賞になってやる」と僕の負けず嫌いの気持ちをくすぐった。小学校では、サッカーを続けたおかげもあって、毎年出場する市内のちびっこマラソンで少しずつ順位を上げ続け、小6で4位となった。このおかげで小1〜高2までの校内マラソンは、11回中9回の一等賞になれた。ありがとう叔父さん。そんな事もあって、訳の分からない自分のプライドに突き動かされ、部活の練習中に走っても一等賞になるために必死で走ってきた。
その頃には、叔父も「足が大きくても長距離が速い奴はいる」と認めてくれた。ちなみに小1で23.5cm。小6で27.5cm。現在は30cm。
20代も30代も草サッカーやフットサルは続けていたが、時々、数キロ走る事もあったが、マラソンなんて出る人の気が知れないと思っていた。
「マラソンにエントリーしたのは」
2015年春、親友が突然家で倒れてそのまま帰らぬ人となった。娘の保育園の親同士として知り合い、フットサルという共通の趣味が合い、毎週の様に一緒にプレイしていた。保育園のお父さんの交流を目的にフットサルチームも一緒に立ち上げた。駅伝大会にもエントリーしてお父さん達で今度出ようと話していた。彼は死の前日もフットサルをし、翌週の予約までしていたとの事。
家族ぐるみで毎週末のように遊んでいた。
まだまだフットサルにマラソンにと一緒に楽しみたかったと彼も思っていたと思う。もちろん自分も彼とこれから何十年も一緒に楽しめると思う矢先の死だった。
亡き友は、若い頃にマラソンにはまりいくつもの大会に出走していたという事と東京マラソンにはまだ走ったことがないので出てみたいと話していた。いつか一緒に出たいと話していたが、その当時は、僕自身、マラソンに興味もなかったので話半分で聞いていた。
彼が亡くなってから、「東京マラソン」と言っていたなあと心に引っかかっていた。東京マラソンに出たら、彼の観たかった景色を一緒に見れるのではと思い立って、2016年東京マラソンにエントリーするが落選した。
「伴走での東京マラソン出走」
東京マラソン落選直後に、障害者10kmに出場したい人が伴走者を探しているという話を聞き10キロでも伴走でも東京マラソンに出る事で彼に会える様な気持ちになり、2016年の東京マラソン10kmに伴走として日比谷公園まで無事伴走の役目を果たした。彼の家族に借りたいつも着ていたフットサルの黄色シャツを身につけ出走。ゴールした時に、10kmのゴールの横をフルマラソンランナー達が歓声の中走り抜けていくのを観て、自分も選手としてその先の景色を観て観たいと強く思った。
その後3度の東京マラソンに落ち続けたが、今までにフルマラソンは7回出場している。毎回彼のシャツを着て。
2年前から同じ保育園で彼と共通の友人でフットサルチームも立ち上げた大高さんもマラソンを始め、彼のフットサルシャツを借りて二人(いや彼も含めて3人)でフルマラソンに出場している。
「初当選、そして2020東京マラソン出走します」
2020年ペアで応募し初当選。初めて二人揃って彼のシャツを着て出走できます。今、こんなに走れているのは、彼が、フットサルの予約をしたままその先もやりたい事があったのに突然出来なくなることもある。それは死はもちろん、怪我や病気だっていつ起こるかわからない。それは一人一人が可能性のあること。そんな中で、今日も走れる。今日も楽しく体が動かせることに感謝して、スタートとゴールの時は、いつも彼にお礼を告げている。それは感情のこみ上げる大切な時間。東京マラソンは彼と走る特別な時間になると思います。
今でも「足が大きくても速く走ってやる」と思い走り続けている。