建築の新しい在りようへ①  「是什麼物恁麼来」 / 「私が知るためには知っていることを知る必要がない」から

序 ; 内発的な言葉 ー 道元とスピノザの言辞から

 人が生活するなかで滅多に起こらないが、内発的な言葉が生まれてくるときがある。そのときの様相を遡及して考えれば、自分が語る言葉は関係のなかで既に語られていた言葉を自分が重ねて語っていたとも、思惟自身が既になにものかに搦め取られているとも言えるという反省が、「そのとき」生じているのではないか。
内発的な言葉というものは既往の関係から免れて、自分の内から掴み取ることにおいて、発せられているのである、と思う。内発的な言葉の出現の切り替わりは、それ以前とそれ以後が全く異なる位相では在りえない。
デカル トの「順序」の概念からすれば、後にある「内発的な言葉の出現」は前にある「他者の言葉を自分が重ねる」ことから証明されなければならないから。
この意味において、内発的な言葉の出現は、発せられた精神と身体において、ある画期をなすものと言える。
この事態はどのような在りようを指示しているのか? 何か新しいことを生み出す思考を剥〔は〕がし、開示する力があるように思える。
標題の「建築の新しい在りようへ」に向けてでもあるだろう。

 この目の付け所に関わる言葉が、表題の二つ(「是什麼物恁麼来」/「私が知るためには知っていることを知る必要がない」)である。
前者は、日本中世の思想家(仏教者)、道元(1200~1253)のものであり、後者は、オランダ近世の哲学者 スピノザ(1632~1677)のものである。
日本の現代人が関心を向ける二人の人物であることを、最近知った。
道元の主著『正法眼蔵〔しょうぼうげんぞう〕』全 8 卷を読んで、現代人が心の在りようを求めているのを感じる。
ではまた、なぜスピノザかと言えば、スピノザは人間の内的な力への信頼という眼差しを貫いた人だからだろう。
道元の言葉は、宗教学分野では、中国唐代の禅宗(南宗)の 六祖である曹谿慧能(そうけいえのう)の良く知られた言葉ということである。こちらは「既に語られていた言葉」からではなく、「内発的」に彼らと出会うことができた、訳である。
「是什麼物恁麼来」は〔ししもぶついんもらい〕と読む。道元の『正法眼蔵』の「恁麼(いんも)」の巻に見える。道元が 1242 年に興聖宝林寺にて衆に示したという。
また「私が知るためには知っていることを知る必要がない」は、スピ ノザが方法論を著した『知性改善論』(1662 年)の第三十五節にある言辞である。
道元の言葉の応答に出会ったとき、ものの捉え方、ものの在りようについ て、また言葉の措定(そてい)について根本的な変更を迫っていることを感得した。そして後者のスピノザのあまりにも当然な言辞を脈絡の中で発見したときの感じ取り方が、こちらのなかで道元のそれに関連づけられたのである。

1 ; 道元 ー 恁麽不得〔いんもふとく〕

 道元から始めよう。この言葉は上で紹介した大鑑禅師(慧能〔えのう〕)が南 獄懐譲〔なんごくえじょう〕に対して示していった言葉である、と道元が伝える。 二僧のやりとりである。
「是什麼物恁麼来」〔ししもぶついんもらい〕、これなにものかいんもにきたる、すなわち、慧能は「こりゃ、いったい、こげんなものが、どっから来たというのだ」(平たく言えば、懐譲おまえはなにものか)と、問うた。
それに対し、懐譲は「説似一物即不中〔せつじいちぶつそくふちゅう〕」、ことばで説いたとたんに的外れになります」、と答えたという。
これを、道元は次のように解釈したという。
「そのいうところは、恁麽〔いんも〕(「どうして」、「どのように」、「この (あの) ような」の意味)は疑うこともできないというのである。
それは理解することもできないが、また、現に「こんなもの」としてあるからである。だから、よろずの物はかならず「こんなもの」であると考えてみるがよいのであり、一物として「こんなもの」ならざるものはないと考えてみるがよいとするのである。
つまり、「こんなもの」とは、疑がっていうのではなく、ただ、「どこから来たのか」、「現にここにあるのである」。これすなわち、「恁麽不得(いんもふと〕という」、と。

 ここでは慧能と懐譲、二人の僧の対話で人が対象であるが、道元の解釈に見える「一物」は、人でも物でも万物と理解される。慧能の前にいる懐譲についても、すべての個物は「こんなもの」としてここに在る、というように眼前に在る。それはなにゆえにここにあるか、これはなにか、という疑いのできない、つまり「こんなもの」であり、「どこからきた」というありようとしてしかありえない、ということを述べている。
「万物」すべては「こんなもの」という 在りかたでしか世界にありえない。どういう出自の、どのような意味合いを持すのかなど、いっさいをかなぐり捨てた「こんなもの」としか言いようもないものとして在る。
「こんな」、「このような」という物に対する表し方は、自分が名付けるのではなく、名付けられるこそが、「こんな」、「このような」としか言いようのないものである。
同卷の別の部分で、「われらもまた、この世界のなかにそなわる調度である」という人の在りかたに対する道元の表現がある。
われわれも世界の「調度」、そうであれば、名付けられる在りかたでしかないのである。「こんなもの」として在るのは今であるから。ただ、「どこからきた」ということはできる。「来」である。

 道元は二僧の問答から、個物のこうとしかありようのない在りかた、また「説似一物即不中」〔せつじいちぶつそくふちゅう〕という返答で 、「問いと答え」ではない世界における、一物である個物の在りようを開示した、といえる。

 道元のこの解釈には、若き留学僧として日本から宗に赴いた時代(1225 年頃) に味わった経験が響いている、ように思う。
『正法眼蔵随聞記』〔しょうぼうげんぞうずいぶんき〕にある道元の弟子、懐奘(えじょう)が書き残したものに見えるエピソードである。
留学した如浄師の天童山景徳寺で道元が古人の語録を見ていたとき、ある僧がそのことについて「なにの用」ぞ、と問い尋ねた。
それに対し、道元が古人をとおして自らを高めたい、と答える。
彼の僧はまた「なにの用」ぞ、と重ねて尋ねた。
日本の教化に資したい、というに対し、さらに繰り返して「なにの用」ぞ、と問いただす。
道元もさらに人々に役立てたい、と答えを返したのに対し「なにの用」ぞ、と重ねてきた。
「なにの用」に対する考えられうる目的を道元が答えたのちに、さらなる問いに道元は終に黙さざるを得なかった。

 古人の語録に目を通す道元と「なにの用」ぞ、と問い質す僧とのやり取りから道元が看取したものは、慧能(えのう)が懐譲(えじょう)に発した、「こりゃ、いったい、こげんなものが、どっから来たというのだ」の解釈に受け継がれていよう。
古人の語録を読むことに対する「なにの用」ぞ、の問い質しに対し、若き道元は「古人の語録を見ていた」そのことから離れてしまった。
というのは、僧が問い質したのは、その「用」の目的や理由を求めてはいない、のだろう。
離れたから、そのこと以上のことを見越したのだろう。
「古人の語録」に眼を通す、そのことを若き道元が行なっていたこと、そのこと自身と道元の在り方を一途に問うたのだと思う。
つまり、「こりゃ、いったい、こげんなものが、どっから来たというのだ」、と。
古人の語録を見ている行為、そのことが道元の意識から離れた対象であるから、そのことの意義とか価値を返してしまい、そのこと自体は忘却されてい る。
それゆえに、そのことが齎す意味や価値をもって返答したことに、おそらく無限に繰り出される「なにの用」ぞ、の問い質しが行われたことだろう。
「古人の語録を見ている」ことを「自らを高めたい」等で説明することは、懐譲(えじょう)が慧能(えのう)に返した「説似一物即不中」〔せつじいちぶつそくふちゅう〕によれば、的外れを重ねたことになる、と言える。
言葉を黙せざるを得なかった若き道元は、「古人の語録を見ている」そのことが「こげんなもの」であることを、後に掴み取ったのだろう

十数年が経っていた。ここに考えつくすべき、私たちへの問いかけがある。

内発的に生じた考えのもとに、ある行為が契機する。その行為はなにゆえに生じたのかと問われたとき、その理由の説明や意義等に意識は向かい、内発的に生じたこと自体への意識は転移してしまっている。
転移の元の地点に存在の基があり、そこを求めることに「なにの用」の答えがある。
ここで思想のまとめに急ぐ前に一 旦留めて、スピノザの言辞に目を移す。

2 ; スピノザ ー 「私が知るためには知っていることを知る必要がない」  ー 観念の確実性

 「恁麼」〔いんも〕の言辞に看取したものは、スピノザの言辞に繋がっている、と考える。
「私が知るためには知っていることを知る必要がない」のは、「何かを知っ ている者は、自分が何かを知っていることを知っている」からである。
この何の変哲も無い言辞に、「スピノザの哲学的態度の根源」がある、といわれる。この変哲も無い言辞に根源があるその人の哲学はどのように始まったのだろう。 そこらへんから始めよう。

 初期著作『知性改善論』(1662 年)に近世オランダ社会に生きる生活人、スピノザの心の動きが記されている。
スピノザの天才、そのイメージを裏切るように、市井 の人が持つような所有欲・官能欲および名誉欲から抜けきれない、とスピノザ は吐露する。
30代に入った頃である。
レンズ磨きによって生計を立てながら哲学する人という経歴は、われわれの生きている地平からの内的な発意への共感を与える。
スピノザもわれわれと同様の煩悶に悩みながら、自分の求めるべき道を探求していたようだ。

 所有欲・官能欲および名誉欲、それらの欲求は俗世的で得やすい。
しかし、現世そのままに移ろいやすいゆえに不確実であることを認識し、スピノザは得られるかどうかにおいて不確実であるが、理念において確実性を持す「最高善」を求めることに決心する。
欲求するものと志向するものの懸隔の大きさに、決心と哲学的出発の勁さ(つよさ)を感得する。
スピノザは「最高善」、そのことを思考しているときは、俗世的な欲求のような他のものは忘れさられていることに気づく。
「最高善」について精神が観念を展開している間、スピノザはその観念に生きられていること、同時にスピノザ哲学にとってのもう一つの重要な認識を得る。
その観念に「最高善」とは何たるかについての確実性も具備されていることを洞察するのである。
ここにスピノザ哲学の出発点を見ることができる。
つまり、 『知性改善論』(三十五節)で

事物の十全な観念あるいは想念的本質を持つ人 のみが最高の確実性のなんたるかを知りうることが明らかである

と記すように、「最高善」を問いただすスピノザの観念、観念対象である「事物」(この場合は「最高善」であり、その「十全な観念」、あるいは「想念的本質」、どちらでもよいが)、つまりこの「観念」に理念的目的である「最高善」に関する求めるべき解を開示する「最高の確実性」が存するということを発見した。
この「「最高善」を求める決心」は、こちら流に言えば、スピノザにとっての内発的な言葉が生み出されたときである。
この刻秒を契機として、主著である『エチカ』 (1677 年。スピノザは同年 2 月に亡くなるが、没後同年に友人たちの手によって出版される。)まで、スピノザ哲学が生み出されていくのである。
人間の精神が世界における一物である個物という「形相的本質」を捉える想念的本質、すなわち、観念の展開を基とする哲学が出立する。
その思惟の発端は疑念の余地のない地平が切り開かれておらねばならない。
デカルトから多くを継承した人として。

 『知性改善論』のすぐ後のスピノザの著作『デカルトの哲学原理』(1663 年)は、デカルトの哲学を下敷きに読み通すことを通じて、デカルトの『哲学原理』における論述の整合性を質す形で書いたデカルトへの哲学ノートのようなものである。
デカルトが懐疑の泥濘(ぬかるみ)の中で発見した「一撃必殺」のあの著名な言辞、「cogito,ergo sum 私は思惟する、ゆえに私は存在する」を、スピノザは「ego sum cogitans 私は思惟しつつ存在する」と書き改める
デカルトはすべてを疑ったうえで、 疑いえないものとして『方法序説』において提示した言葉であり、デカルトはこの言葉を彼の哲学の出発点とした。
デカルトとスピノザのこれらの言辞の差異については、主題が相違するので、ここでは触れない。
ただし、スピノザがデカルト哲学の起点の言葉を質したことは、デカルト哲学を遡及したうえで、自らの足がかりを掴んだことを示唆しよう。

 ここから、スピノザ哲学は「観念」への新たな認識を基盤とする哲学である、という見方に繋がる。
一物である個物が何であるかを明らかにするために、精神が観念を繰り出していくとき、この観念に個物が何であるかの解の「最高の確実性」が在る。
或ることを問う主体の精神の働きから繰り出されてくる観念に全てがある、と言っているのである。
万物の外部は神(自然)のみである。
観念は実在の浮薄な表象ではない。

 空の映像が、精神と関わり合いをもつことができるのは、--- 観念であるかぎりにおいて --- である。あらゆる観念が、その想念的実在性について、現実に存在する原因を有しているのでなければ

、空が存在しているとは判断し得ない。
 デカルトが『哲学原理』において提示した見解である。
空という観念は映像とか、心象とかを経て、結局実在する現実の空なるものを原因としなければ判断できないことになる。
デカルトの表象論的観念思想が現れている。
スピノザは、この表象論的観念思想をデカルトの筋に添いながら、内的に質していくことになる。

もし人間が自分の有する形相的実在性よりもいっそう多くの想念的実在性 を含むような或る観念をもつとしたら、われわれは自然的光明に促されて、必然的に、このすべての完全性を形相的ないし優越的に含む他の原因を人間自身の外に求めるであろう。そして何人もいまだ、この原因のほかに、それと同様 に明晰判明と考えられるような他の原因を示すことはできなかった

この部分を丁寧に見ると、スピノザは、デカルトが観念の原因を最終的に実在とする表象論的観念思想を表明したことを認めるように促しながら、そういうことはあり得ないことを示すことで、その思想の瑕疵を喝破しているのである。

 人間は自己の精神と身体として理解される形相的実在性をもって世界に存している訳である。
人間がそれを越えた想念的実在性を含む観念を持つとすれば、 この観念の原因を必ず求めるだろう。
というのは、デカルト言うように、人は観念のうちに想念的に存するのと同じ量の実在性を形相的ないし優越的に含んでいるある原因を措定することができると、満足してしまう性質を持する存在であるからである。
すなわち、原因たる実在を求めて「満足してしまう」性質からすれば、自分の有する形相的実在性よりもいっそう多くの想念的実在性を含むような或る観念であるのだから、人はその観念の原因となる実在性を、自身の外に、求めなければならなくなってしまうだろう。しかし、これまで誰もこの原因に値する、あるいはこの原因たる実在を示し得ていない。

スピノザがデカルトの論理展開に添いながら、スピノザの観念思想に切り替えていく発端の叙述である。
さらに、スピノザはデカルトの叙述からではなく、自ら優れた哲学者とつまらぬ人間の記す二つの写本の事例を紹介する。
両者による二つの写本の差異に実在したのは、叙述それ自身から読み取られる著名な哲学者の優れた考え方の観念と、取るに足らぬ人間にふさわしい低劣な考え方の観念が実在した、それだけである、と。
写本の体裁でもなく、字体・文字列等でもなく、実在したのはそれらを読み取った観念である。
観念の原因は観念の中にしかない、観念の規定を極めていく。

 さらに、事物と観念は同じ存在であり、同じ一つの存在が別の仕方で考えられた、あるいは別の仕方で現れたものであると考えるところまで進まねばならない、とまで突き詰めていく。
スピノザのこの観念の認識から伺えるのは、人それぞれの内側から繰り出される観念への信頼であり、私たちを鼓舞し続けるものとなろう。

 スピノザは観念に対する認識とともに、観念から「知ること」への変換を以って疑念の余地のない立脚点を定める。『知性改善論』第三十四節にもみえる。

「私が知るためには知っていることを知る必要がない」のは、「何かを知っている者は、自分が何かを知っていることを知っている」からであり、何かを知っている者は何かを知っていることを自分以外の他者に確認する判断基準は必要もなく、自分が何かを知っていると言う事実の正否を疑う余地も全くないと言うことである。
知っているのだから、「知っていることそのもの、観念を有して いることそのものが知っていることの正しさ、観念の確実性」となる。

ここで重要なのは、知る内容やその内容の理解などは問われていない、ということである。
「知っていること」そのことだけであり、そのことを自分は知っているという様態が存している、ということである。

(この稿ではスピノザの哲学の発端に触れるだけにとどめ、次稿以降に成果の一端を発表したいと、考えている。 観念、観念対象の referre, concatenare の関連の初歩的な地平から、神(自然) の観念への窮策(きゅうさく)と、そこから個物の観念への遡行過程の論理展開において、難解なスピノザ哲学は私たちすべてが持している内的力を彫琢(ちょうたく)するドラマを謳いあげるものでもある。)

結 ; 道元とスピノザの言辞から掴み取ったもの

 道元とスピノザの言辞からこちらが掴み取ったものを整理したい。
道元の曹谿慧能(えのう)の言葉の解釈にある、すべての万物はいっさいをかなぐり捨てた「恁麼」〔いんも〕、 「こげんなもの」としか言いようもない個物として在る。
私たちも含めてすべての個物、万物は、「恁麼」、「どうして」、「どのように」、「この (あの) ような」というふうに、問いでも答えでもない在りようとして在るのだった。
「こげんなも の」と表して、「どこからきた」という出自を問い質すにあらざる、個物の「今」、 「ここに」という「在る」を問う言い方しかできない。
そのこと、その場所から離れて、あるいはそのことから窺われる事柄へと転移してはならない。
「なにの用」ぞ、に黙さざるを得なかった事態を、そのこととして受け止めねばならない。
これらの事柄に一貫して流れているものは、世界における万物の在りかたへの「表現」、あるいは問い質しへの「表現」、すなわち「表現」という観念 であろう。

 スピノザの「何かを知っている者は、自分が何かを知っていることを知っている」、ここで道元に添いて注視すべきは、「何か」が何であるか、何かを知っている人の出自や、何かを知ることに関わることなど一切は問われてはいない。
「何かを知っている」という事態が時空に、世界に、万物の一物である個物とし て、「こげんなもの」として只管(ひたすら)に存在する、ということだ。
「何かを知っている」観念の働きが開示するものが、「こんなもの」というようにわれ、 他者、万物に前景化しているだけだ。
突きつけているのは、「観念の確実性」の表現である。

 冒頭で述べた内発的な言葉の生起は、「このような」「どこからきた」という在りようしかない個物、あるいは個物の「恁麼」のように在ること、それらの観念との遭遇である。

まずここから、始めなければならない。

「建築」は観念である。
観念は観念対象と関連する( referre) から、「建築」は実在でもある、と。
この観念に「建築の新しい在りよう」の「最高の確実性のなんたるかを知りうる」ことが約束されている。
「建築の新しい在りよう」という事態の個物が存在するのではない。
「建築の新しい在りよう」も、内発的な言葉の表れに、同値の新たな観念の出現するときだろう。
「建築の新しい在りよう」への観念の新しい構えというようなものを生み出していかねばならない。
こちらがこの稿を起こしていた観念の在りよう・場所は、そこにある。

展 ; 次項に向けて ー 西田幾多郎の視点

 最後に、日本の近代哲学を創始したとも言える西田幾多郎の視点に触れておきたい。
今後のさらなる展開に繋げたいと思うからである。
西田は『善の研究』 (1911 年)で同質の位相から「真実在」とは何かを求めて、純粋経験、直接経験に出会う。

経験するというのは事実其儘に知るの意である。純粋というの は、---毫〔ごう〕も思慮分別を加えない、真に経験其儘の状態---例えば、色を見、 音を聞く刹那、この色、この音は何であるという判断すら加わらない前をいうのである。

そして、

主客を沒したる知情意合一の意識状態が真実在である。

とする。
その過程で、西田の穿索は次の一節を導いている。

「未だ主もなく、 客もない」のだから、それゆえこの純粋経験、直接経験がまずあって、個人という固有存在があるのである

、という一節である。
純粋経験、直接経験があって、のちに個人が来る。
この一節は、西田がデカルトやスピノザを意識して書いた、と言われる。
「私は思惟する、ゆえに私は存在する」、「何かを知っている者は、自分が何かを知っていることを知っている。」における「私」であり、「自分」であるは、西田の言う「個人という固有名詞」であるのだろうか?
「恁麼」〔いんも〕 あるいは「どこからきた」から見れば、純粋経験、直接経験も、経験の生きられている場所はあるだろう。
「順序」の概念もふまえて、次稿以降の道元の「画鋲不充飢」やスピノザ哲学への関わりでさらに詮索したい、と考えている。


入江正之 (建築家/DFI・早稲田大学名誉教授) 2020.9.13 稿了

参考文献

以下のような書籍を参照、また関連するものとして見とめたものをまとめたものである。

道元『正法眼蔵』増谷文雄現代語訳 全 8 巻 

懐譲『正法眼蔵随聞記』水野弥鉾穂子訳 

伊藤秀憲「是什麼物恁麼来」愛知学院大学 

B.スピノザ『知性改善論』畠中尚志訳 

B.スピノザ『デカルトの哲学原理』畠中尚志訳

B.スピノザ『エチカ 上、下 倫理学』畠中尚志訳 

R.デカルト『方法序説』谷川多佳子訳 岩波書店 

國分功一郎『スピノザの方法』みすず書房 

G.ドウルーズ『スピノザと表現の問題』工藤喜作訳 法政大学出版会 

G.ドウルーズ『スピノザ 実践の哲学』鈴木雅大訳 平凡社 

西田幾多郎『善の哲学』岩波書店

秋保亘「スピノザ 力の生存論と生の哲学」法政大学出版局 

江川隆男『スピノザ『エチカ』講義-批判と創造の思考のために』法政大学出版局

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