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テラスハウス

人の生と死

人気番組テラスハウスの出演者が亡くなった。画面越しに映る彼女の人間性はとても優しく、純粋で自分の芯をしっかり持ってる人だった。

彼女のSNSによると自殺の可能性が高く、ネットでも騒然となっている。具体的な事実は分からないがここでは自殺について考えることにする。

生きることと死ぬことは責任がある

人間は誰しもが産まれてきて生活をしていく上で必ず迷惑をかけることになる。ちゃんと育ててくれた家族、親戚友人、そして自分のために生きていかなくてはならない。

では、死ぬときはどうだろうか?命が尽き天に召される理由、それは病気や事故、あるいは寿命であるかもしれない。天命を全うし、三途の川を渡ることはある意味、生きること、死ぬことの責任を果たしたと言えるのかもしれない。

しかし、自ら命を絶ってはいけない。人は誰にも迷惑をかけずに自殺なんてできない。飛び込み自殺は清掃や電車の遅延、飛び降りや首吊りだってそれを掃除する人がいる。なによりその人のことを愛していた親戚家族、友人の気持ちを考えてみてほしい。愛情を込めて育ててきた人を裏切ることになる。それでは報われない。

テラスハウスでこのような悲しい事件が起きたこと

俺はここに大きく思うことがある。
そもそも自殺というのは心の病のようなものですごく弱っているはず。よく「自殺する勇気があるならなんでもできる」という言葉があるがこれは実際に死のうとした人には理解できないことなんだろう。それほど追い込まれていたんだと思う。

しかし、前に述べた迷惑をかける点で打撃を受けたのは所属事務所だけでなくこのテラスハウスという番組だろう。この事件が起きて、人生をかけて集まったメンバーはどのように生きていけばいい?番組はどのように続ければいい?メンバーにも番組制作に関わっている人達にも家族がいて、生活があるんだ。
大人ならばそういったことも考えなくてはいけないはず。決して1人だけの問題じゃないんだ。

もっと言おう。
匿名で誹謗中傷しているアンチが1番悪いことは大前提である。
しかし、テラスハウスに出る、番組に出るということは売名や一般人には出来ない体験を出来る対価として意味もなく批判されることは今の日本ではごく当たり前のことだと誰でもわかる。自分の夢へ進むメリットがあればこのようなリスクも当然あるわけでそんなに甘くない世界なんだと思う。

自殺したらその人を擁護するような風潮

誰かが自殺をするとみんな寄ってたかって可哀想、可哀想と言って原因であるものを徹底的に叩くけど、本当にそれは正しいのだろうか。「自殺なんて馬鹿のすることだ」「自殺は1番の悪だ」っていう風潮を周りがもっと作れば気軽に自殺なんて出来なくなって行くはず。死んだからって変に甘やかすのはいかがなものか。

死ぬことでみんなから同情されたり変に応援されたり気にかけてもらえたり可哀想って言ってもらえると思うとあまり良くない。自殺なんてアホのすることじゃん。って風潮になれば自殺するっていう考えはいずれなくなるかも知れない。とにかく死ぬことが1番いけないことだから。


最後に

自分をもっと大切にしよう。どんなに深く傷ついても死ぬこと以外は擦り傷なんだから。
死んだらほんとに終わり。なんにもできない。生きてたらいつかいいこと起きるから。
自殺するということは自分を殺してるんだからそれは「人殺し」であり「犯罪」だから。
辛いこと嫌なことがあれば逃げればいい。
全部放り投げて逃げよう。今の時代根性論なんかスマートじゃないよ。決して1人だけの命じゃない。自分ファーストで自分の身をしっかり守ってください。

とりあえずアンチはやめようね。。。




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