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Episode1:母の期待と私の疑問



小さいころから、
私は母に褒められるのが何よりも嬉しい子どもでした。

お伝えするのが少し恥ずかしいですが、
素直でまっすぐ、
母の言うことを一生懸命に聞く“いい子”。


母の期待に応えることで母が笑顔になり、
その笑顔を見ることが、
“私自身の一番の幸せ”でした。


「母の言うことが全て正しい。」

そう信じて疑わなかった私は、
母が望む道を歩むことが自然だと思っていました。

1.母が望んだ私の未来


母が私に望んだのは、
『ピアノの先生になること』でした。

小さいころから習い続けてきたピアノ。
その延長で「先生になるのが当たり前」と思っていた私は、
大学生になると同時にご縁あって音楽教室を開業しました。

ありがたいことに、
素敵な保護者の方々や可愛い生徒さんたちに恵まれ、私の教室には次々と生徒が集まってくれました。

発表会後の講師演奏



保護者の方々は、
私のことを心から信頼してくださり、

「先生にお任せしたいです!」
「先生は娘にとって第2の母です。」

と、今も温かい言葉をかけてくださいます。

でも、その一方で、
私はずっと心の中にある疑問を抱えていました。


2.湧き上がる疑問と不安


「私はピアニストほど上手ではないのに、どうしてこんなにたくさんの生徒さんが集まってくれるのだろう?」


ピアニストで生きていけるほど、
特別な自信があるわけではありませんでした。

周りのピアノ講師や、音楽の道で活躍している方々と自分を比べると、
「私でいいのかな…?」と思うこともありました。

教室が広がっていく喜びとともに、
その疑問は私の心の中でずっと消えませんでした。

3.教員時代の挑戦と挫折


大学卒業後、
私は自身のお教室も運営しながら、
学校教員としての道も歩み始めました。

教室だけではなく、
「もっと多くの子どもたちの成長に関わりたい」
そんな想いがあったからです。

教員時代には、
日々忙しいスケジュールでしたが、
全力で子どもたちに向き合いました。

関西の私立小学校、
また別の私立中学校に音楽教員として平日も土曜日も授業、音楽行事、成績をつけて、帰って夕方からは音楽教室でレッスンをする。

日曜日も音楽教室で、
たくさんの生徒さんがレッスンに来てくださいました。

大学を卒業する前から、
たくさんの子ども達との出会いとご縁が、
『さなえ先生』としての私をたくさん成長させてくださいました。

そんな中、日々の忙しさと、上司である先生との相性が合わず…、私は心身のバランスを崩してしまいました。

ついには適応障害を患い、
半年ほど学校にも行けず、自分の限界を初めて痛感しました。

“頑張れていない自分”
そんな自分を認められない。

子ども達には優しく接することができるのに、ちっとも自分に優しくしてあげられない自分がいました。

今では自分の心と身体を大切に、
レッスンと両立しながら、おうちで新しい働き方を叶えられました✨


4.「母の期待」に縛られた私


母が望んだピアノの先生になり、
教員としても子どもたちと関わる道を選んだはずなのに、なぜ私はこんなにも苦しいのだろう?

母が笑顔になることをずっと目指してきたのに、
それが叶えられない自分に価値がないように感じました。

5.気づきのきっかけ


そんな中でも、教室に通ってくれる生徒や、

「さなえ先生と出会えて、この子は明るくなりました!」
「先生と出会えて、本当によかったです✨」

と言ってくださる保護者の方々が、
私にとって唯一の救いでした。


そこで気づいたのです。

私のピアノの技術だけを見て、
生徒さんになってくださっていたのではないということを。

私が大切にしていたのは、
【子どもたち一人ひとりの個性や気持ちを尊重し、成長を支えること】

やっと自分に自信が持てた。


ピアニストではなくても、
技術が完璧ではなくても、
私にできることがある。

「なぜこんなにも生徒さんが集まってくれるのだろう?」
そう思い続けたその疑問は、
私自身の『才能』に気づく第一歩だったのです。


episode2に続く♩

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