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 私たちは普段の何気ない会話で無意識的に「数字」を使います。

 「多くの人(事案)は〜」、「〜という人(事案)は少ない」などもその典型でしょう。

 私自身も上記のような表現をよく使いますが、これが実は危険であることに恥ずかしながら最近になって気づきました。

 もちろん客観的データによって裏付けられたのなら問題はありません。内閣府調査では2019年の携帯電話世帯普及率は93.8%であるとされています。この場合、「多くの」日本人が携帯電話を所有していると言えるでしょう。しかし、私たちの日常の会話の中で信頼性のあるデータをもとに数字の話をすることは私の場合は結構頻度が少ない。それは自分の経験やイメージに基づいた主観を表現しているにすぎないのです。

 私のパートナーは大学時代に統計学を専攻しているためか、そのような表現を使うことはほとんどありません。

 会話の中でも私が「多くの人は〜」的な発言をすると、すぐに「多いかどうかはわからない」と訂正をします。

 最初は自分自身の意見を「否定」されている感じがあって、あまりいい印象を持っていなかったのですが、そこに関して「合意形成のためのコミュニケーション」を図ると、その意図と目的が明確になり、なるほどなと理解することができました。

 客観性を大切にすることの重要性についてコラムでもしばしば書いていますが、無意識に自分が都合の良い数字をイメージによって作り上げていることに愕然とする。

 数字に敏感になることが、客観性を担保する大切な要素であるという学びでした。

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