#155 「いじる」ことが信頼関係の基盤の上で成り立っているのか?
いじられキャラと呼ばれる人たちがいます。
私も実はその一人。
でも不思議ですよね。最初から自分のことを「いじられキャラ」なんていう人はいません。
他者との関係において、自分以外の誰かから、そういう「キャラづけ」をされて、後付け的に自分のことを「俺、いじられキャラだから」と定義し始めたりするのです。
先日もある教育系のyoutuberの方が
「クラスにいじりやすい児童が数名いると、授業が盛り上がるのでとてもありがたい」
と話していました。
確かに、「いじる」ことを「冗談をいうこと」と定義するのであれば、時としてそれはコミュニケーションにおける潤滑油として機能するでしょう。その場の空気を和ませたり、ice-breakingの効果もあります。
一方、先日のニュースでは
ある芸人さんが番組の中で日本でも有名なデザイナーが手がける服を「いじる」ことで、SNSに対して強い抗議を示したというニュースが流れてきました。
芸人さんの方にどのような意図があったのかはわかりません。
服装を揶揄したのか、その場を盛り上げることで彼ら自身の「仕事」としてそれをやったのか。。。。
「いじる」という行為の根底には必ず両者の信頼関係やリスペクトが必要になります。
結局、いじるという行為は主観の問題です。そして主観というのは非常に脆い。
「いじる」という言葉を簡単に使って良いほど、「いじる」ことは簡単ではないのです。
あなたが今、「いじっている人」は本当はいじられたくないのかもしれませんよ?