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#142 誰かと比べる必要がないと心から実感できるからこそ「比較」が自分の中でのモチベーションになる
私たちは
自分の能力や才能、ひいては容姿などを「比較」される社会に生きています。
学校教育においても
比較という概念は常に当たり前のように存在します。
多くの人が他者との「比較」によって今苦しんでいると言えるでしょう。
それは他者との比較によって劣等感や葛藤を生み出し、自己の価値が相対的に低く感じてしまうことや、優越感が相手の存在の軽視に繋がることになることがあるからです。
一方、比較という要素を全て否定することはどうなのか。
例えば
自分より何かの要素について自分より優れた人の存在は、
自身の成長のとても良いモデルケースとなります。
自分が誰かに勝ちたいと願う気持ちは、自分自身の行動のモチベーションにもなります。
このような要素を考えた時、比較自体が悪いわけではない気がします。
では比較が適切に機能するには何が必要なのか。
それは
相手と自分の存在価値を一番に尊重することを基盤とした主体的な「比較」
ができた時と言えることができるかもしれません。
誰かに勝つことや負けることは本質的には大きな意味を持たない
自分より何かに優れた人が、人としての価値が高いというわけでは決してない
だからこそ、自分より何かに優れた人を目標にしたり、その人から学ぶことをある
と思えるのではないでしょうか。