曾祖父の居たところ
曾祖父は、木曾三河が寄り添うように流れるあたりから、ある日、横浜にやってきました。以前に戸籍を遡って調べてたことがあり、知ったことです。それより前はもうわからないそう。
そして、愛知県と三重県と岐阜県の県境になるこの地域は、日本で一番「伊藤」姓が多いところだとか。
かつて曾祖父が住んでいたところ、遠い遠い親戚が今も住んでいるであろうところを見てみたいと思い、昨年末に行ってきました。
新幹線で名古屋まで、まずは熱田神宮へご挨拶。
近くの商店街はシャッター通りになっていて、歩いている人も少ないし寂しいなぁと思っていたら、入った餃子屋さんが「今日は人通りが多いですね。」とのこと。
私の感覚は、だいぶ局地的だと知りました。旅にでると、いつものあたり前、常識を壊してくれるのが楽しい。
翌朝。
街は雪景色。見慣れないのでこれだけでとても楽しい。来てよかった。
朝食を簡単に済ませて熱田神宮に向かうと、昨日とは見せてくれる姿がまったく違う。
どんどん雪が積もってくる。ふさふさで雪の結晶が見える。きれい。
歩みを止めると、音が無く、しんとしていて、本当に雪が音を吸収しているみたい。
さすがに冷えたので、名古屋駅で味噌煮込みうどんをいただいて、桑名へ。
そういえば、味噌煮込みうどんも、定食のお味噌汁も赤味噌。思ったより塩気がつよく感じられて、すでにいつものお味噌汁が恋しくなってくる。
桑名駅から七里の渡しへ向かって歩くと、途中、お餅屋さんからいい匂いがする。お正月用の切り餅かな。
川の中洲のもっと上流に曾祖父は住んでいたのかな。もし曾祖父がこの土地にそのまま住んでいたら、私もこんな川と雪を見て、お正月には切り餅を食べていたんだろうか。それとも、そもそも私は生まれなかったのだろうか。
翌日は、養老鉄道に乗って多度へ。
街は静かで、昔は栄えたであろう参道も今は車が往来するだけ。多度大社、一目連神社は、雪解けもあってか水の匂いが満ち溢れるところでした。
その後、大垣から関ケ原へ。
伊吹山と鈴鹿山脈、養老山地に囲まれてか、雪が多く積もっていました。
雪かきをしていた地元のおじさまが言うには、「こんな大雪は久しぶり」とのこと。「もう、観光施設はみんな閉まっとる」そうで、関ケ原合戦の跡地を語って聞かせてくれました。
「つぎは、あったかい時にまたおいで。風邪ひかんようにな。」
と見送ってもらい、名古屋で腹ごしらえして帰ってきました。
また、暖かい季節に、もう一回行こう。