不可思議な着信《zaccanto》
少し前から社用携帯に見知らぬ男性から「○○くん?」と電話がかかってくるようになった。はじめは社内の誰かが間違えてかけているのだと思ったけれど、「間違いだと思います」と伝えても「あ?」とあまりにも不躾に切ったものだから、これは社外の人だと思うことにした。声があまりにおじいちゃんだし。
その間違い電話が三日にあげずかかってくる。そのたび「○○くん?」「ちがいます」のやりとり。「え? ちがうの? おかしいなガチャ」で切れる。もうこれは間違いなく認知症か何かそれに類似した困りごとを抱えている方で、本人も○○くんに連絡をとりたくて困っているのだから、助けてあげなくては、と思うようになった。もしかしたら○○くんはもうこの世にいないのかもしれないが、せめて周りに誰か家族の人がいないかを聞いて、電話を替わってもらうか、なんとかして現在間違って「○○くん」と認知されているぼくの社用携帯を解除してもらい、○○くんにアクセスする正しい方法を探ってもらわなければならない。しかしこちらが何かを聞き出そうとするたびに「おかしいなガチャ」で切れてしまう。助けたいのにどうすればいいかわからない。
きょうなど一時間以内に4回も5回もかかってきた。仕事中にである。
「○○くん?」
「いや、違うんです。番号をお間違えだと思うんです」
「え、違うの? おかしいな失礼しましたガチャ」
またかかってきたので、次こそは会話をつなげようと、
「○○くん?」
「はい」
「○○くん?」
「はい」
「○○くんと違うの?」
「はい」
「おかしいなぁ」
「あ、あの、もしお困りだったらその○○さんの番号を・・・」
「おかしいなぁ失礼しましたすみませんガチャ」
一方的に切られるので、会話をつなげるのが至難の業だ。どうしたらこちらの発話に注意を向けてもらえるのか。またかかってきた。
「○○くん?」
「はい」
「もしもし、○○くん?」
「はい! どうしましたか?」
「あれ、あんた○○くんと違うの?」
「はい! あ、いえ、そうなんです、先ほどもおかけくださったんですけど、近くにどなたかおられませんか? 電話を替わって・・・」
「・・・あなた、どこの人?」
「神戸です」
「え?」
「あの、私は神戸です、神戸の者です」
「ガチャ」
ひょっとすると神戸は遠いのかな。近くに誰もいなくて、少なくとも電話でつながっているぼくが、辛うじて傍にいる人間なのだろうか。
○○くんも、おじいちゃんだろうか。○○が苗字だから、甥とか、そういうのではないだろう。でも若いかもしれない。○○くんはとうの昔に携帯番号を変えたのかもしれない。解約したのかもしれない。不要になったので解約されたのかもしれない。それとも、端末への番号登録でなくて、○○くんと書かれた電話番号のメモが存在するのかもしれない。
それにしてもどうして○○くんに電話をかけ続けようとしているのだろう。○○くんに会いたくて仕方ないのだろうか。○○くんが元気かどうか案じているのだろうか。つながらなくて大丈夫なのだろうか。
こういう場合どうしたらいいのだろう。
ネットで調べると、警察に、とあったがこの場合は迷惑電話というのでもない。受けたくなければ着信拒否にすればいいだけの話なのだけれど。警察でもおじいちゃんを助けてくれるものかどうか、他の窓口があるのか、もう少し調べてみることにする。
ところで昨日私用携帯を変えた。前のが壊れてしまったからだ。今回はグーグル製の少し前の機種にした。性能がいいのに安価だった。ただ変えたてなのでまだ操作や振る舞いに慣れない。
見知らぬおじいちゃんからの電話がいったん落ち着いたあと、今度はその私用携帯がブルルルと振動しはじめた。デスクの上で裏返っていたので、何事かと思って表を向けた。
画面に「日本マラソン発祥の地」と出ている。
なんだこれは。
アラーム? でももちろんそんなアラームを設定した覚えはない。そのアラームで何が走り出すというのか。
それともこれは妻の予定だろうか。カレンダーを共有しているのだが、ときどき行動の予測できない名称の予定が入れられている。しかし、いや、これまでぼくに向けて数多の謎情報を散布した妻でさえ、さすがにこれはないと思う。そして子どもが遊んでいて偶然設定されるようなものでもない。
画面の下をよく見ると、電話を取るボタンが表示されている。では、不可解だが電話がかかってきているのだろう。「日本マラソン発祥の地」から。
いったいぼくに何の用なのだろうか。電話帳に登録したはずもない場所である。ぼくはマラソンや、走ることについて語るときに僕の語ることについて考えることもないが、なんとなく村上春樹的状況に陥ってしまった。あるいは物語がはじまるかもしれない。半ば好奇心からぼくは受話器を取った。
か細い声が、
「神戸市立中央図書館です」
と言った。
「あ・・・お世話になります」
と、普段本当にお世話になっているからそう言った。相手は相変わらずか細い声で、
「辻さまのお電話でよろしいでしょうか」
「はい、そうです」
「先日本館でご予約された本が、外国語大学の図書館から入っておりますので」
「わかりました。ありがとうございます。日曜に受け取りに伺います」
「3階の窓口までお受け取りにお越しください」
か細い声は、マニュアルを読み上げるように、説明しなければならないことをすべて言い落とさないように伝えてくれるが、こちらは相手が「マラソン発祥の地」ではなく、馴染みの場所だったので余裕綽々だ。声も明るく弾みがある。なんだか望んだわけでもないのに優位に立ったような形のまま、「マラソン発祥の地」から発信された通話は終了した。
昼休みに「マラソン発祥の地」を検索したら、地図と情報が出た。電話番号も出た。マラソン発祥の地には他の候補もあり、群馬県もそれを主張しているらしい。
ただし神戸のマラソン発祥の地の石碑は市役所の近くにあり、そしてそれはあくまでも「碑」である。間違いなくグーグルに登録されている電話番号は間違っている。それは、神戸市立中央図書館の番号なのだから。
思うに、私用携帯に「日本マラソン発祥の地」と表示されたからくりはこうに違いない。
ぼくが自分の携帯に「日本マラソン発祥の地」の番号を登録したことがなくても、今回の場合、グーグルはかかってきた番号が何の番号かを知っていた。これまでも携帯はAndroidを使ってきたが、HTCとかSamsungのばかりだった。ところが今回はグーグルが自ら手掛けたスマホだ。グーグル自身が握っている情報で、顧客に役立つ情報なら提示しようと考えるのが普通だろう。
たとえば人生一度きりしか行けないレストランに予約するために、わざわざ連絡先登録する人がいるだろうか。しかし、そのレストランで夢のような体験をしたあとに、店から電話がかかってくるとする。普通の携帯なら知らない電話番号が表示されているだけだ。レストランでの一夜の余韻に浸っているときに取り合うわけがない。しかしグーグルのスマホなら違う。画面に「レ・トロワ・エトワール」と店名が表示され、画面が金色に光っている。「忘れ物でもしたかな」と思って受話器を取ると、
「あなたが落としたのは、金の歯ですか? 銀の歯ですか?」
と女神のような声が囁く。あなたは、咄嗟に口の中で舌を動かし、歯は一本も欠けていないし、抜けた覚えもないことを確かめてから、
「いえ、歯はこぼしていませんが」
と正直に答える。その後の展開はご想像の通りだ。あなたはグーグルのサービスに感謝するに違いない。
しかし世界はグーグルの思うつぼではい。「日本マラソン発祥の地」の電話番号に関しては、現に間違えておかしなことになっているのである。誰が登録したのか知らないが。
もしマラソンに関心のある人が、グーグルで「日本マラソン発祥の地」を検索したとする。まず営業日や営業時間が知りたい。しかしすでに毎日24時間営業と書いてある。ただ年中無休とは書いていないので、年末年始に神戸を訪れるマラソン愛好家ならば、電話をかけて正月に入館できるかを問い合わせるかもしれない。群馬の人ならそれが入るも何も、ただ記念碑がそこにあるだけということを知る由もない。というよりも、まさかライバルである神戸が「日本マラソン発祥の地」をそんな扱いにしているわけがないという認知の偏りがあるはずだ。
こうして神戸市立中央図書館3階の、それほど多くの人が訪うわけでもない専門書フロアに、
「もしもし、日本マラソン発祥の地ですか」
という電話がかかってくるという、理解に苦しむ状況が生まれる。
日常的にかかってくる電話の相手が不可思議であれば、中央図書館の職員の方からの電話が、多少おどおどした様子でかかってくるのも、ゆえなきことではないのかもしれない。
電話の向こうの相手は目に見えないのである。
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