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ホクト幻想《iquotlog:天才的一般人の些細な日常》

 有馬街道を車で走っていたら、妻が、
「あっ、ホクト!」
と声をあげた。見ると右前方にたしかに「ホクト」と書いた大きな看板がある。
「タネの?」
とぼくがきくと、妻は、
「ほら、あのしめじの。ぶなしめじの」
なるほど。ぶなしめじのHOKUTOだ。よく2パック128円などお買い得なときに買い、パスタでも炒めものでも味噌汁でも何にでも入れる。
 タネは「サカキ」だ。かれこれ10年以上メールで「サカキのタネ」のニュースレターを受信していて、読みもしないのに配信停止していないから、タネの刷り込みがひどい。つい、「ホクト」を見てもタネと思ったのも致し方ないだろう。なぜだかわからないが。
「でもホクトって県内じゃない気がする」
たしかに、建物がどう見てもぶなしめじに関連しているようには見えない。しかも場所がおかしい。一応山の中ではあるけれど。
 運転しながら次第にアプローチしていくと、結局パチンコ屋だということがわかった。少しさびれた感じが菌類の繁殖を連想させたかもしれない。
 運転しながらパチンコ屋の中を想像してみた。パチンコはしたことがないので、テレビや映画、もしくは前を通りかかったときにたまたま開いた自動ドアから中を伺ったことがあるに過ぎない。トイレを借りたこともない。
 しめじのホクトが経営するパチンコホクトは、通常のパチンコ玉の代わりに、房分けしたしめじを使う。音楽はアンビエント系か、前古典派のクラシックが流れていて、灰皿の代わりに醤油皿が置かれている。各台のデザインはベージュと黄緑を基調にしていて、アクセントに赤が使われている。
 台に打たれたクギは疎らで、あえて雑に、あるものはまっすぐ、あるものは右向きに、あるものは左向きに傾いていて、前の人が打ったしめじが、まだクギに引っかかったまま残っていたりする。
 右手で回すあのハンドル? レバー? のようなものを操作すると、台の上から、ふさ、ふさ、と静かに、房分けしたしめじが降ってくる。それがクギに引っかかったりしながら落ちる。ときどき、真ん中のチューリップと呼ばれるものにしめじか入ると、フィーバーという状態になり、しめじが大量に降って、またたく間に台が詰まってしまいプレー続行不可になる。こうなると店員を呼ぶしかなく、店員が特殊な器具を持ってきて台を解錠し、詰まったしめじをすべて網で受け止める。フィーバーを出した人は自分のカゴにそのしめじを受け取り、自分のものにする。何かの具にはなるが、換金はできない。
 パチンコホクトがある近辺にはスーパーもコンビニもなく、夕食の材料に困った近隣の人が、しめじを分けてくれと頼みにくることがある。しかし店側はしめじの小売りはしていないの一点張りで、しめじパチンコをして出てきたしめじを持ち帰るしかない。プレーは基本料金128円なので、運がよければ一度でフィーバーとなって台が詰まり、先ほど小売りはできないと言い張った店員に台を開けさせて、大量のしめじを持ち帰ることができる。しかももう房分けしてあるのである。
「最初から売ってればこんなことにはならないのにね」
そう捨て台詞を吐いていく人もいるが、店員はエリンギのように冷静沈着、まっすぐ店内に立ったまま表情も変えない。
 クレームも入る。出たしめじの品質が良くない、傷んでいる、糸を引いている、等。そういうときはパックに入ったしめじ2パックと交換する。でも小売りはしない。
 常連でもはやパチンコホクトの主のようになっている仙人のような老人もいる。醤油皿に自分の持ってきた秘伝のタレを注ぎ、しめじパチンコをプレーしながら、ときどきしめじをライターで炙る。それをタレにつけて食べる。彼の咀嚼音は、基本的に静まり返っているパチンコホクトにおいては神聖である。
 まばらにしか人の座っていない台の中で、しめじが、ふさ、ふさ、ふさ、と落ちる。台の下部の受け皿にぽろ、ぽろ、としめじがこぼれる。誰も話はしない。客は徐ろに入ってきて、徐ろに立ち上がって店を去る。ときどき見回りの警官が入ってきて店内を回る。そして店員からホクトのしめじを2パックもらうと、挨拶をして出ていく。
 普通のパチンコ屋だと思って入ってくる客も少なからずいる。
「なんやこれ」
「なに? えっ、きのこ?」
「やだ」
彼らの靴音や発する声はパチンコホクトには極めて異質である。そもそも、入り口が自動ドアでなく、たてつけの悪いアルミの普通のドアである時点で入店をやめるべきなのだ。
 店に入れば普通のパチンコではなく、スマートボールですらなく、しめじパチンコである。勝つつもりでやってきた心も、勝ちの意味がわからなくなって崩壊してしまう。食べるために生きているのだろうか、生きるために食べるのだろうか。
 このように空想しながら通り過ぎ、帰りに同じ道を通ったときには「ホクト」にネオンが光っていて、ごく普通のパチンコ屋に見えた。しめじがパチンコになるという幻想は、もう跡形も無く消え去っていた。

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