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【自己紹介】英語は、誰でも・何歳からでも喋れるようになるぞ

みなさん、はじめまして!吉住尚哉(Yoshizumi Naoya)です。

現在、外資系イノベーション支援企業(アクセラレーター)で勤務する傍(かたわ)ら、新規事業の立ち上げを京都を拠点に進めています。

私は、前職時代の2020年3月に、新型コロナウイルスの感染拡大真っ只中のイギリス・ロンドンで、国際事業に取り組む団体を設立しました。事業の立ち上げにいたった経緯や自分の思いを知っていただく機会として、このnoteを立ち上げました。

たった一人でも事業に共感して、まだ見ぬ仲間が増えていくことを願っています。書きたいことはいっぱいありますが、まずは簡単に自己紹介。


(1)これまでのこと

人口約6,000人の村出身(現在は約3,700人まで減少)ながら、幼少の頃から何故か海外に憧れを抱いていて、理科の授業に地図帳を持参するような小僧でした。

1988年、三重県上野市(現:伊賀市)生まれ、奈良県山添村出身。大学在学中に、オーストラリア、東南アジア、インドをバックパッカーとして回る。オーストラリアの旅でコテンパンにされて、関西空港着陸と同時に、自分は日本で生きていくことを心に誓う。

学生時代は自分の将来に悩み続け、1年半くらいかけて自身の道を見つけました。良いアドバイスができると思うので、学生の方ぜひご連絡くださいw

猛勉強の末、第一志望の三重県庁にトップ合格。大学卒業後、約10年間、医療政策、公共土木、広報、産業支援を担当。在職中に紀伊半島最南端の熊野地域での勤務や、2016年G7伊勢志摩サミットでのプレス対応を経験。

思っても見なかった経験を、本当に本当に数多く経験させていだいたし、自分は税金で育ててもらったと思っています。必ずお返しをします。

2018年より日本貿易振興機構(JETRO)に出向し、東京・ロンドンのイノベーション支援部門にて3年半に渡り、新技術の海外展開に関わる。イノベーションカンファレンス・slush Helsinkiのジャパンブースマネージャーも担当。また、海外から日本への対日投資・企業誘致にも従事し、外国企業の事業拡大サポートも提供。
2019年の英国EU離脱(BREXIT)や、2020年の新型コロナウイルス感染拡大(パンデミック)をロンドンで過ごす。

ロンドンじゃなくてパリだけど
ロンドンじゃなくてベルリンですが良い思い出

極めて貴重な経験をさせていただいたので、「その一歩に自分のエゴはないか」を来る日も来る日も問いかけていました。

帰国後、大好きだった三重県庁を退職し、東京・渋谷のAIスタートアップに勤務。同僚に恵まれて、多国籍なチームメンバー、エンジニアチームとも働く貴重な経験に。2022年より外資系アクセラレーターでスタートアップ支援に従事。

現在は、ロンドン時代に立ち上げた団体をパワーアップさせるべく、京都を拠点に活動中です。

2022年3月三条通りにて

(2)気づいた思い

私は、子供ながらに海外に興味があったし、いつかは旅行でいろんな国に行ってみたい、必ず行くんだ、という思いがありました。それが形になったのが、大学2回生の春休み(3回生に上がる直前)で、一念発起して、友人と2人でオーストラリア東海岸縦断3週間の旅に出ました。

英語は好きだったものの、全く喋れず、その3週間は基本的に友人と2人で過ごしていたのが、今となっては良い思い出かもしれません。帰国の時点で、「自分は日本で生きていくんだ」と関西空港着陸時に心に誓ったことをハッキリと覚えています。

その後、地方公務員としての10年弱で英語力は、ほぼゼロの状態に落ちました。簡単な単語すらも出てこない状態で、英会話なんて一切できません。
しかし、ひょんなことから出向が決まり、半年後にはイギリスに赴任することになったのです。なかなか無茶苦茶な状況で、そこから必死になって英語をやり直した(正確には「やり直そうとした」)のですが、結論からいうと、ほぼ無力。駐在の最初1年半は、超絶惨めな経験をしました。

毎日通ったHolborn High Street(ロンドン)

自分だけ英語が話せない、そもそも何を言っているか分からない。準備してきた質問も、同僚に先に言われて、その後は何も喋れない(地蔵状態に突入w)。今から振り返っても、めっちゃくちゃ不気味な状況で、当時の同僚にはほんとに迷惑をかけたし、助けてもらいました。(今となっては、これが本当に本当に貴重な経験です)

今はなき元職場(移転してしまいました)

しかし、同時に驚いたことは、日本の名だたる大企業の駐在員や、中央官庁からの留学生の多くが、英語で苦戦し、歯がゆい思いをされていたことでした。(某官僚の方は、MBAのクラスで自分がダントツの落ちこぼれ、と)

その時に痛感したことは、日本人が英語を喋れない原因は、ただ一つ。「これまで英語を喋る環境になかったため」に尽きるのではないでしょうか。

自分が英語を喋れるようになった経験や方法や、他のバイリンガル話者の話を聞いていても、環境が極めて大事であるということが明らかになりました。逆に言えば、環境さえあれば、「言語は慣れ」であると自信を持って言いたいと思います。


(3)今考えていること

超ど田舎出身の自分が、公務員や海外駐在の経験で感じた、多くの人の課題。それをビジネスを通じて解決するべく、事業の立ち上げを準備しています。

その一つが、言語や文化を学ぶ「環境づくり」であり、今、Language Keep Up Clubとして活動を継続しています。嘘みたいな話ですが、紀伊半島の端っこからロンドンのカムデン・タウン、カリフォルニアのサンホセ、フィンランドのコテージから山口・周防大島の港町まで、世界中のどこにいても、思いを同じくした人たちが、老若男女を問わず集まってくれています。

今後、規模が大きくなってくれば、よりカテゴリを分割した集まりの機会にしたいと思っています。言語の学習はどうしても時間がかかってしまうのが事実。だからこそ、一人で頑張るのではなく、世界中の友達と繋がれる場を作り、参加の輪を広げることで、みんなで未来を作っていきたいと思っています。

簡単な自己紹介や今の思いは以上です。効果的な学習方法などもお伝えしたいと思うので、ぜひ、オンラインでお会いしましょう!

2023年8月15日
Naoya Yoshizumi


※プロフィールまとめ

1988年、奈良県出身。創業事業家。大学在学中に、オーストラリア、東南アジア、インドをバックパッカーとして回る。卒業後、三重県庁にて約10年間、医療政策、公共土木、広報、産業支援を担当。日本貿易振興機構(JETRO)に出向し、東京・ロンドンのイノベーション支援部門にて3年半に渡り、新技術の海外展開に関わる。slush Helsinkiのジャパンブースマネージャーも担当。帰国後、東京・渋谷のAIスタートアップを経て、2022年より関西を拠点に、外資系のInnovation Dojo Japanでスタートアップ支援に従事。

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