IPUが「監物の大学」を卒業する日
吉岡 利貢(環太平洋大学コーチ)
10年前、コーチとしてのスタートを切った春に出会ったのが、その年に4年生になる監物稔浩(NTT西日本)でした。3月末に初めて顔を合わせ、突然、1週間後の「金栗記念選抜中長距離熊本大会」に帯同しました。この大会、レース前後の記憶はあるものの、なぜかレースの記憶はまったくありません。写真や結果を見返すと、今年、源裕貴(体育4・美祢青嶺)の躍進を支えて下さった横田真人さん(TWOLAPS TC)や、先日IPUに来て下さった井野洋さん(富士通)と一緒に走っています(最後方が監物)。
※Photo by EKIDEN News
1)3.43.96 村上 康則(富士通)
2)3.43.99 高谷 将弘(JR東日本)
3)3.45.63 横田 真人(富士通)
4)3.46.21 松本 葵(大塚製薬)
5)3.46.84 大迫 傑(早稲田大学)
6)3.47.28 武田 毅(スズキ)
7)3.48.50 井野 洋(富士通)
8)3.49.41 田村 大輔(自衛隊体育学校)
9)3.52.45 監物 稔浩(環太平洋大学)
10)3.55.23 今崎 俊樹(立命館大学)
その後、兵庫リレーカーニバル、ゴールデンゲームズ in のべおか、日本学生個人選手権と帯同し、迎えた大阪・長居での日本選手権。そこで見た光景はおそらく一生忘れないでしょう。決勝レースの招集に送り出した後「監物の見ている景色を見てみよう」と、薄暗い招集所脇の通路を抜けて、一気に光を浴びると、そこに現れたのは、そびえ立つスタンドと熱気を帯びた多数の観客でした。4年に1回のオリンピック選考会。あぁ、こんなところで選手は戦っているんだと衝撃を受けました。
私はIPUのコーチになりましたが、コーチの役割が「人を目的地まで運ぶこと」であることを考慮すると、私のコーチは監物でした。
それにもかかわらず、当時の私は「こんなところに選手と来るのも最初で最後なんだろうな」と、それを寂しがるでもなく、思っていました。なぜなら、(今思えば)当時の私には野心がなく、目標としていたコーチという職に就けたことに満足し、そこで粛々と、できる範囲のやりたい仕事をしていくことに何の迷いも持っていませんでした。それには、私自身の気持ちの問題だけでなく、当時の地方大学の実情も関係していました。中四国インカレの800mは1分56~57秒台の選手で優勝が争われ、1500mも、監物を除くと3分台の選手が数名という状況でした。そんな中で見る監物は、他の選手の目標というよりは、極めて異質な存在だったのです。
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あれから9年、源(130)が、同じ大阪・長居で開催されたオリンピック選考会となる日本選手権で、オリンピックの標準記録突破を目指して先頭をひた走りました。そして、その源を見て、同じ日程で開催されたU20日本選手権で優勝争いをした高校生たちがもうすぐIPUへやってきます。
※Photo by Chisako TAKAGI
同様に、今の下級生たちも、源や中井啓太(体育3・鳥取城北)、そして昨年ブレイクした片山直人(体育3・広島皆実)らを追いかけてIPUにやってきました。しかし、数多くの選手が全国の舞台に立ち、戦えるようになった背景には、IPUの創成期、まだ誰もIPUの名を知らない時に、伝統ある強豪大学、実業団選手の中で先頭をひた走った開拓者精神あふれる監物の存在があります(その歴史を知っておいてもらいたいとの思いもあって、この文章をまとめています)。
明日、2年ぶりに開催される東京マラソンは、その監物の引退レースです。
引退の報告を受けたのは、ホクレンディスタンスチャレンジ千歳大会の夜。監物の同級生(競技者仲間)で、私がいつもお世話になっている松井一樹コーチ(下写真・中央)も一緒でした。「まだまだやれるのに」というのが最初の思いでしたが、第3者による決定ではなく、自身の決断であったことが救いでした。
なお、この日は源(下写真・中央)が日本タイ記録をマークした日ですが、それ以上に大きな意味を持つ日でした。それは、中井(同・左端)が、監物が保持していた1500mのIPU記録を更新した日だったのです。源の陰で苦しさにあえいでいた中井が、あの監物の記録を、監物の目の前で抜いてくれたことが心から嬉しかった、そんな日でした。レース後、中井も「監物さんの見ているところで切れて良かった」と、IPU新記録、そして28年ぶりとなる中四国学生新記録樹立について話してくれました。
さて、監物が卒業しても、IPUはずっと「監物の大学」でした。明日は監物が引退する日であると同時に、IPUが「監物の大学」を卒業する日でもあります。学生時代、どんなレースでも先頭を引っ張った「果敢」という言葉がぴったりの監物、明日も果敢なレースで締めくくってくれることを楽しみにしています。
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おまけ(回想)
日本インカレ1500m決勝。前年3位で優勝を目指した監物でしたが、悔しい4位に終わりました。
忘れていましたが、3000mSCでも日本インカレで入賞していました。レース後の第一声は「足が合いませんでした」でした。
中四国インカレ、西日本インカレは、予選・決勝とも、スタートからフィニッシュまで完全に独走でした。
当時、中長距離ブロックは、男女総勢30名弱のチームでした。来年度は約4倍まで膨れ上がります。
駅伝では、もちろんエース区間を担いました。先日、MGC出場を決めた相葉 直紀選手(中電工)が長距離種目ではライバルでした。