4年間で理想の教師像に近づくために
本日から、「高校までに陸上競技を通して学んだこと」と「環太平洋大学で陸上競技をする理由」についてまとめた新入生レポートを紹介します。記念すべき初回は、広島県の名門・広島皆実高校で副キャプテンを務めた山﨑大空のレポートです。高校では目標を達成できなかったという山﨑の環太平洋大学での4年間への思いをお読み下さい。
野球に夢中だった少年時代
私は、小学校2年生から地元の少年野球チームに所属していました。当時の夢はプロ野球選手で、野球に没頭する毎日でした。この野球のためのトレーニングとしてランニングをしていたことが陸上競技を始めるきっかけとなりました。チーム内で常にトップを走っていた私は、小学校6年生の時に市内の学校対抗でおこなわれた駅伝競走に出場、1区を任され、トップで帰ってくることができました。走ることや他の人と競うことの楽しさに気づくことができた私は、中学校では陸上部に入ろうと決心しました。
キャプテンになって成長できた
私は、高校3年時に陸上競技部の副キャプテン、長距離パートのキャプテンを務めました。当初は、歴代の先輩方のようにチームをまとめていけるのか、とても不安でした。また、一日一回、全員の前で話をするという仕事も、大勢の前で話すことが苦手だった私にとって不安を大きくするものでした。しかし、回数をこなしていくうちに、段々と自分の言いたいことをしっかりと話せるようになり、キャプテンらしく振る舞えるようになってきました。また、陸上競技部全体では副キャプテンという立場で、キャプテンを支えながらチームを見ることで、視野を広げることもできました。一方、競技の面では、インターハイで戦うことを目標にしていましたが、残念ながら達成することができませんでした。自分に足りなかったのは、怪我をしない体づくりでした。ケガで走れない時期がたくさんあったので、大学ではケガ0を目指します。
大学では新たな目標に向かって
私が大学で競技を続ける理由は、不完全燃焼のまま終わりたくなかったからです。私は高校時代に、インターハイ出場と都大路(全国高校駅伝)出場の2つを目標に掲げていましたが、どちらも叶いませんでした。そのため、大学でも競技を続け、新たな目標に向かって突き進みたいと思いました。また、私は教員を目指しているので、競技をすることで得た知識や経験を、未来の教え子たちに継承していきたいと考えています。
日本インカレの結果を見てIPUへ
環太平洋大学を選んだ一番のきっかけは、昨年の日本インカレで1500mに出場した3選手全員が決勝に残られたことでした。その結果を見た時、自分もこの輪に入ってレベルアップしていきたいと強く思いました。また、母校の先輩である片山(直人)先輩が高校時代と比べて、かなり強い選手になっておられました。さらに、施設が充実していることなど、強くなるための環境が整っていると感じ「環太平洋大学で競技に取り組めば、絶対に強い選手になれる」と、その意を強くしました。
目標は教員になること
私の大学4年間の目標は、教員になるためのスキルをつけること、生徒のお手本となるような人間性を身につけること、そして日本インカレで戦える選手になることです。教員になるということは簡単なことではありません。授業をサボったり、授業中に寝たりしていては、たとえ教員になれたとしても、何の影響力もない人で終わってしまいます。また、数多くの知識も必要になるため、勉強もかなり頑張らなくてはなりません。私は他人に影響を与え、頼られる教員を目指しているので、毎日しっかり勉学に励み、人として成長していきます。
ユニフォームで強くはならない
競技については、環太平洋大学のユニフォームを着るだけで強くなるわけではありません。日頃から常に高い意識で競技と向き合い、積極的にチームを引っ張っていく必要があります。キツいから妥協して手を抜いたりしていてはいつになっても成長しません。ですので、中井(啓太)さんや片山先輩に積極的に食らいついてレベルアップしていきます。また、高校時代はケガに苦しめられたので、ケガをしない体づくりや練習後のケアも徹底します。
4年間で理想の教師像に近づきたい
これらの目標を達成することで、自分の理想とする教員像に近づくことができます。そして、不完全燃焼に終わった高校時代の気持ちも晴らすことができます。4年間、1日も無駄にすることのないように、競技にも勉学にも取り組んでいきます。