【ゲスト講義第2回】 「サイトラ sight translation」
ゲスト講義第二回は「サイトラ(sight translation)」です。前回のノートテイキングの講義に引き続き白倉先生を講師にお招きし、サイトラのいろはについて学ばせていただきました。
サイトラとは「サイト・トランスレーション」の略であり目でみた情報を訳出する形の通訳のことです。これは逐次通訳や同時通訳と同様に通訳の一つの形式であり、実務でも出番がある技術です。サイトラという通訳形式は、たとえばプレゼンのスライド情報を訳したり、配布資料を訳したり、といった時に必要となります。
筆者は実際に通訳の勉強をするようになるまで「通訳と言えば耳から音声情報をインプットして口からアウトプットする音声に依存した技術である」という風に考えていました。したがって「目で見た情報を訳す」という概念にはじめて出会った時は大変新鮮に感じたのを覚えています。
考えてみれば、確かに人間の情報受容器官は耳だけではなく、目もあるので、これを活用しない手はないのですが、実際にやってみるとこれがなかなか難しいのです。筆者がまず直面したのは、目で見た情報を瞬時に脳で処理できない、という問題です。しかも、自分ではなんとか理解できたと思っても今度はそれを別言語に変換して、そしてなるべく綺麗な形で聞き手に届けなければなりません。サイトラでは特にこの部分が、困難を極めている気がします。
このように、サイトラをしたいと思ってもつまづくポイントが多かったので、今回この授業を聞けることを大変楽しみにしておりました。自分の記憶定着のためにも、授業で得た学びを丁寧に振り返っていきたいと思います。
1.サイトラの位置づけ
サイトラは先ほども書きましたように、商品としての通訳の一形態です。しかし実はそれだけではなく、逐次通訳と同時通訳の力を鍛える通訳技能の訓練法としても有効であるということが知られています。
通訳者の頭の中ではいつも「スピーカーの言葉を素早く聞きながら意味を汲み取り別言語に変換し、そしてその後どういう言葉で伝えようか...」という思考プロセスがぐるぐると渦巻いています。サイトラを行う時というのは、実はこの「ぐるぐると渦巻く状態」を頭の中で再現できるのです。
しかもサイトラは、膨大な言語情報を目から仕入れたり、書かれた概念をメッセージ的な面だけではなく文法的にも文章的にも自然な言語にしてアウトプットしたりする手腕も問われます。したがって通訳技術だけではなく、言語を鍛えるという意味でも大変有効な訓練です。
そして何度か述べていますように、訓練としての側面もありますが結局はサイトラも立派な「訳」ですので、お客様である聞き手に届けてこそ意味があります。したがって最高の理想は「日本語原稿を読んでいるかのように英語原稿を訳す」というところになります。先生はこれを、目指すべき「雲の上の理想」というように形容していましたが、まさに通訳の理想像だと感じました。練習の際にも、この理想を意識して行うのが良いとのことです。
2.練習方法について
練習方法は色々とありますが、大切なのは試行錯誤の中で「自分にとってベスト」の方法を見つけるということです。練習方法という部分で先生がおすすめしていらしたのは、まずは「良い素材」を選ぶということでした。これは「出所が確かでよい表現や語法や構成を学ぶことのできる素材」を用いるのがよいということです。よい表現に触れなければ訳が伸びないというのは日頃から英語通訳塾でも教わってきたことでしたので、今後の素材選びではここを意識していきたいです。
練習でもう一点意識すべきなのは、情報は耳から取り入れるよりも目から取り入れたほうが早いという利点を最大限に活用し、訓練の際には「情報を目から容赦なくガンガン入れる」ということです。目から入ってくる情報というのは耳から入ってくる情報と違い、スピーカーの話す速度による制限がありません。したがってスピードを出そうと思えばいくらでも出せるのです。
さらに、サイトラでは書き言葉を取り扱うことになりますが、これは話し言葉よりも遥かに密度の濃いものになります。スピーカーが話す話し言葉というのは、文字情報以外にもたとえばイントネーションであったり情緒であったりと、色々な部分を参考にできます。しかし書き言葉においては、全ての情報を目の前の文字から取り込むことになります。だからこそ必然的に密度は高くなり、話し言葉を訳すよりも難しいことが多々あります。
このように、サイトラではスピードや情報量など様々な負荷がかかるので、通訳者にとっての「高地訓練」であるとも言えます。マラソンランナーなどが敢えて酸素濃度のうすい標高の高い地域で訓練をすることで、平地に戻ってきた時に高いパフォーマンスを発揮するのを可能にするという高地訓練。我々も通訳者の卵として、日々サイトラで自分自身にガンガン負荷をかけ、逐次通訳や同時通訳を行う際に高いパフォーマンスを発揮できるようになりたいものです。(サイトラは別に高地へ行かなくても、文章さえあればいつでもどこでもできるので、これをやらない手はないですね。)
3.練習の基礎
英語から日本語へのサイトラを想定して、練習方法や考え方についてもう少し細かくみていきます。まずはじめに注目すべき点は、英語と日本語とは語順が大きく異なる、ということです。
これは筆者が通訳訓練どころか、英語学習をはじめた時点で苦しんでいた点なのですが、英語と日本語の性格の違いとでも言うべき特徴でしょうか、英語は大事なことが一番はじめにどーん!ときて、その修飾は後からどんどんなされていく、という特徴のある言語だと日頃から感じています。英語が日本語よりも心なしかストレートに感じるのは、こういう特徴があるからかもしれません。要点が一番先にくるため非常にわかりやすい言語なのです。これ対して日本語は形容詞、つまり修飾が先にくる言語です。雰囲気やディテールを重視する日本人らしさを感じます。
例えば以下の文章を見てみましょう。
“Mr Shirakura, an English-Japanese interpreter, is a director responsible for accounting and finance of the Japan Association of Conference Interpreters which was launched in 2015...”
これを見たまま語順通りに訳すのであれば、
「白倉氏は英日通訳者です。氏は理事です。理事として責任範囲は会計と財務です。日本会議通訳者協会の理事です。日本会議通訳者協会は2015年に設立されました。」
なんとかFIFOで、チャンキングを駆使して、上記の訳文をつくることができました。しかし仮に、語順通りに訳すという制限を一旦解除して、筆者の出来る限り自然な日本語に訳出するのであれば、
白倉氏は英日通訳者であり、2015年に設立された日本会議通訳者協会の会計および財務担当の理事を務めています。
という訳にすると思います。自然な日本語だと思うのですが、ご覧いただいても分かる通り原文と語順が全然違います。この組み替え作業の必要性こそが、筆者にとっての英日、日英通訳の最も嫌な部分であり、と同時に最も醍醐味の部分でもあります。
英語は、resposible for〜とかwhich is〜とかin order to〜とか、主語の後にいかようにも、このように関係詞などを用いてじゃんじゃん修飾しても自然です。全くもって便利な言語だと思います。
しかし日本語でこれと同じことを行うべく、後から主語を修飾しようとすると、「まずは(主語)についてです。」「(主語)というのは実は〜をしています。」「これは〜年に設立されたんですけどね。」「責任範囲は〜なのです。」という感じになってしまいます。はい、そうなのです。いかにも、後から思いついたので情報を付け加えました!みたいな訳になってしまうのです。これが、語順の違うということの厄介さです。
日本語との語順の違いの他にも、時制、特定・非特定を表す冠詞、それから単数・複数の区分などなど、英語の文法には数多くの罠が潜んでます。これらの罠を上手く処理できるような能力を養うことこそがサイトラ訓練の意義であり、通訳技術を向上させる秘訣なのかなと感じました。
ところで筆者は先ほど挙げた英語の注意すべき文法を「罠」と表現しましたが、先生がおっしゃるには、これらの文法から取れる情報というのは「基礎」であり、ここが弱いままで練習をしても、怪しい訳がでてくるだけというお言葉をいただきました。これ以上怪しげな訳を出さないようにするべく、先生からおすすめいただいたように毎回テーマ意識をもって、これらの基礎をひとつひとつ個別にとりあげて練習していきたいと思います。そしていつかはこのような基礎を「罠」として考えるのではなく、通訳という仕事のアトラクションや、言語の面白さだと楽しめるくらいになりたいものです。
4.サイトラ固有の課題と気づき
実際にサイトラの練習を進めていくと、自分の訳で色々と気づく点がでてきます。たとえば以下のような点があります。中には先ほど挙げた例に関連するものもあります。
・ 短く切ると訳出は楽だが、出来上がる訳文は不自然になりやすい
・ これに対して、長めに切ると訳出は大変だがより自然な訳ができる
・ どれくらいの不自然さであれば許せそうか、という境界線がある
・ 知らず知らずのうちに口に出している自分のくせがある
先生の講義の中では「気づきが全てであり、気がつかないことは直せない」というお話がありました。したがって、自分で練習をしていく中で気づいたことをもとに、色々と試してみるのが大切だということを教わりました。
この話を聞いて、自分の音声を録音して振り返ることの重要性を再認識しました。また、時には自分だけ気づくことは難しいのでクラスメイトとの勉強会等を通して自分以外の人からフィードバックを得ることも非常に重要だと思いました。
サイトラを通して多くの気づきを得られるのは、サイトラならではの様々な固有の課題に出会えるからです。その様々な課題の中でも特に面白いと感じたのは、サイトラでは一度に取り込む情報量を自分で調節できる、という点です。
サイトラは逐次通訳や同時通訳と異なり、スピーカーが話すのを受動的に聞くのではなく、自分の目で能動的に情報を捉えにいきます。だから次々と先走ることもできるし、逆にゆっくり少しずつ進めることも可能です。したがって、どこで区切って訳出するか、柔軟に色々と試すことができるのです。この色々と試していく行為が、さらなる気づきにつながっていきます。たとえば、一度に取り込む情報量を多くすれば、文章の全体像を理解できるのでより良い訳をつくれる、ということに気づいたりできます。
しかも練習をしている際に調節できるのは、一度に取り込む情報量だけではありません。時系列通りじゃない順序で話してみたらどうか、語順を入れ替えてみたらどういう印象になるのか、普段分けないところで分けてみたらどうなるか...というように、試せることは無限大です。
どんなことをどのように試せるか、また例をみてみましょう。
Urge patients to fill out paperwork online before they arrive
for a vaccine shot.
この文章を自然な日本語に訳すと以下のようになりました。
予防接種を受ける前に、患者にオンライン上で書類を記入してもらうように促す。
これははじめから文章が最後まで見えているサイトラだからこそできる訳かもしれません。では頭から訳すとどうなるでしょうか。試してみましょう。
患者に促すべきなのは、オンライン上で書類を書いてもらい、その後、予防接種を受けに(病院に)来てもらうことです。
こちらは、実際の講義でクラスメイトが出してくれた訳を参考にしています。筆者が大変感動したのは、語順を変えた時に時系列が狂ってしまわないようにするために「その後」といった目印がさりげなく入っていることです。(しかもそれを瞬時に判断して入れている)やはり他の人の訳をみるのは勉強になります。
このように、一つの文章を目の前で時間をかけてみながら、何通りもの訳し方をじっくりと考えられるのがサイトラ練習のいいところだと感じました。
色々と試してみると、どのような訳が危険か、ということにも気が付けます。たとえば以下の文があるとします。
And yet the UN is struggling, as are many of the structures,
like the WTO and the NPT, designed to help create
order out of chaos.
この太字になっている部分だけを自然な日本語に訳そうとすると、次のような文ができました。
...WTOやNPTといった様々な組織は、混乱の中から秩序を生み出すためにつくられた制度なのです。
サイトラをする時、我々は色々な方法を駆使して、元の文章を「ねじふせて」そして「まるめこんで」なんとかそれらしい日本語を作り出します。そしてなんとなく「訳せた」と感じます。しかしここで大事なのは、一歩引いて考えることです。
たとえば上記の文章ですが、日本語の訳文を見てみると、重点が文章の後ろの方に全て乗っかってきています。つまり「混乱の中から秩序を生み出すためにつくられた」という部分が話の中身のようになっているので、聞き手は「あぁそうか、このつくられた経緯が大事なんだな。」なんて思ってしまうかもしれません。しかし本当にこれでいいのでしょうか。
原文を注意深くみてみると、“And yet the UN is struggling, as are many of the structures, like the WTO and the NPT...”という文章です。ここで大切なのは「many of the structures」も「UN」と共にもがき苦しんでいるという部分だけで、後ろに続く「混乱の中から秩序を....」という部分は文章の中核ではなく単なる修辞的説明に過ぎない、ということが分かります。
ところがこの原文を日本語っぽくなるように「ねじふせて」訳してしまったので、なぜか急に「混乱の中から秩序を生み出すためにつくられた」という物語が登場してしまいました。通訳をする者としては常に意識しておかなければならないのは、元の話から重点が移動してしまってはいないか、ということを一歩引いて確認する視点です。サイトラ練習はこのような気づきも与えてくれるということを授業を通して学ぶことができました。
5.最後に
筆者は授業をリアルタイムで受講できなかったため、後からアーカイブ動画を視聴し、そして先生が用意して下さった予備問題でサイトラに取り組みました。手応えとしては、なかなか上手くいきませんでした。
難しい単語が目に入ってきたとたんその訳を考えて詰まったり、文章を解読しようとして長い間黙り込んで沈黙空間を作り出してしまったり、それから「えー」といった言葉を連発してしまったり...一回目のチャレンジは散々な結果に終わりました。しかし実際に取り組んだことで、多くの気づきと課題を見つけることができました。
もっと新聞に出てくるような単語を強化する必要があること、そもそも歴史や時事といった基礎知識を蓄えなければならないこと、そして口癖を直す意識を持たなければならないこと...これらの気づきを得ることができただけでも、貴重な収穫があったと思います。
先生からは、時間が必要ならば時間をかけてみてもいい、それから練習において「間違った方法」というのはないため自分が続けられる方法を見つけるのがいい、というアドバイスをいただいています。このアドバイスにしたがって、これから自分に合った練習方法を見つけ、続けていきます。
最後になってしまいましたが、白倉先生におかれましては、2回にわたり学びのあふれる素晴らしい授業をしていただき、本当にありがとうございました。
また、今回の長編振り返り記事を最後まで読んでくださった読者の方もありがとうございます。これからも英語通訳塾ブログをよろしくお願いします。それでは次回もお楽しみに!
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